生活者主権の会生活者通信2006年08月号/04頁

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愛国心を考える

東京都文京区 松井 孝司

 先の国会では継続審議になったが、自民党と民主党は教育基本法の改正を目指し、「愛国心」の
涵養を条文に明記しようとしている。その賛否をめぐってはマスメデイアの論調も2分されている
ようだ。
 朝日新聞の論説では「国を愛せ、と一方的に教えるだけでは愛国心が育つはずがない。まして、
戦前のような国家体制への郷愁にかられて、国を愛せ、伝統や文化を愛せ、というのならば、とて
も受け入れられない話だ。」と批判している。 
 読売新聞は「愛国心の涵養(かんよう)は、国家主義とはまったく別の問題なのだ。」「そもそ
も愛国心の涵養が是か非かなどというのは、諸外国ではありえない議論だ。不毛な論争は終わりに
したい。」 と教育基本法の改正に賛意を示している。
 平沼赳夫元経済産業相は「憲法と教育基本法は一日も早く脱ぎ捨てるべきだ。基本法には美辞麗
句が並んでいるが、家族のきずなの大切さ、わが国の伝統文化、天皇を中心とする国柄、そういっ
たものがすべて欠落している」と述べ、安倍晋三氏は自民党幹事長時代に「自民党としては『愛す
る』はゆずれない一線だ。鉛筆や消しゴムを大切にしようとはいうが、愛せよとはいわない」として
いる。
 愛国教育を主張する人達は「愛する心」をどのように捉えているのだろうか?
 仏教では、「愛」を「執着が生む激しい欲求」と見て肯定的には捉えていない。愛欲は人間を不
幸に導く要因になることもあり、「貪瞋痴慢疑」の煩悩から派生する想念と捉えている。人間は五
陰(色、受、想、行、識)の仮の集合体であり、五陰の内「受」によって「渇愛」(=想)が生じ、
これが貪欲な行動(=行)となり、これが記憶(識)されて残り、それぞれの要因が因縁となって
苦悩をもたらすと見る。「愛」が無ければ「憎悪」は存在せず、「愛」と「憎悪」は不可分と見る。
仏教は「愛」の本質が対象への執着であることを見抜き、「愛すること」を無条件には肯定しない
のだ。「愛」を肯定的に捉えるキリスト教とは好対照である。
 どちらが正しいか?と問われれば私は仏教の洞察力に軍配を上げたい。「色即是空」「五陰仮和
合」を説く仏教の考え方は、人間が常時変化する分子と細胞の集合体であることを解明する現代科
学とも符合する。
 個人と国家の関係は、組織における「部分」と「全体」の関係に該当し、人体に例えれば細胞と
身体の関係に相当する。部分と全体は一体不可分で、部分と全体は相互補完関係で結ばれることに
より、個体は維持される。全体のルールを無視して、自己増殖のみを繰り返す細胞はがん細胞と同
じで、人体を破壊する存在となる。個人と国家の関係も同じで、個人が利己的に行動すれば、国家
は崩壊する。個人のために国家が犠牲になることも、国家のために個人が犠牲になることも許して
はならないのだ。個人の義務は、集団のルール(正義)を順守することである。
 ところで、「心」とは何か?
 現代の科学はその「心」にも科学のメスを加えようとしている。脳の機能停止、すなわち「脳死」
は間違いなく「心」の死である。「心」とは「脳の働き」であることは今や疑う余地がない。仏教
では五陰(色、受、想、行、識)の内、「色」を除く「受、想、行、識」を「心」と定義している。
「心」は眼に見えない実在であり、「色」と「心」は一体不可分(色心不二)と説くが、これも現
代科学と符号する。眼に見えない脳機能のイメージ化が可能となり、脳の各機能は相互に依存し役
割分担をしていること、感覚器官から入力される信号(色)により、人間の認識の構造(心)がつ
くられることが判った。人間の認識の構造(心)は、外界から獲得する情報(色)に制約されるの
である。
 人間の「認識」と「行動」も一体不可分の関係にあり、人の行動パターンから、その人の「心」
の構造を知ることができる。
 人間は獲得する情報によって、しばしば間違った認識をすることがあり、間違った認識が行動に
結びつくと犯罪行為の原因となる。偏見にもとづく宗教や教育は間違った認識を増幅することさえ
あり、間違った認識は妄想となり「心」の病をつくる。イスラム国家の内戦や、中国の「愛国無罪」
を叫ぶ国民は、自己中心的な宗教や教育がつくったものだ。北朝鮮の人たちの異常な行動は、国家
が主導する共同幻想に国民が束縛されていることを示すものだろう。
 現行の教育基本法第一条に定める通り、教育の分野では愛する対象を「真理」と「正義」に限定
することが望ましい。「愛」は愛する対象を間違えると犯罪を招き、国家が対象になると戦争にま
で発展する可能性があるからである。戦争や犯罪を未然に防止するために、国民をまともな頭脳の
持ち主にすることこそ公教育の使命でなければならない。
 21世紀の世界はグローバル化とコミュニケーション技術の発達で国境の存在は無意味となり、
国民国家(Nation State)は終焉の日を迎えるだろう。しかし、多文化が共生する社会では価値観が
多様化し、世界は一層混迷を深める可能性もある。世界の各国が愛国心の涵養を競えば時代は逆行
し、資源と領土獲得をめぐる争いが激化し、すべての国家が物質的繁栄を競えば、今世紀末には膨
大なエネルギーの消費で地球環境の激変が予測される。
 人間社会に運命共同体としての自覚を促し、正義の内容を地球規模の「持続可能性」に書き改め、
普遍的な正義を確立しなければ、人類はやがて破局を迎えることになるだろう。
 頻発する政治家、公務員の不祥事、耐震データ偽造問題や村上ファンドの例が示すように、正義
を問わない教育は無責任な人間集団や犯罪者を生む温床となる。憂慮されるのは生徒の学力低下よ
り公教育の質の低下に伴う人間の質の低下だ。
 公教育の質を向上させるために、改正すべきは「教育基本法」ではなく、受験競争と長期にわた
る文部省支配で活力を失った公教育の組織(システム)である。官業の無駄を排除し、公教育に最
新の脳研究の成果と民間の知恵と活力を導入すれば、教育予算が節減できるだけではなく教育の質
は確実に向上するだろう。

生活者主権の会生活者通信2006年08月号/04頁