生活者主権の会生活者通信2006年03月号/10頁

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公益を追求した民間人、渋沢栄一

東京都文京区 松井 孝司

 渋沢栄一は日本における株式会社の創設者であり、明治の大起業家である。一時期、大隈重信に説得され
て大蔵省の官僚になったが、財政改革の主張が入れられず、わずか4年で官を辞し、再度官僚に戻ることは
なかった。
 民間人となった渋沢栄一は「官尊民卑」の弊を嘆き、「民間にある者は、少しでも不都合の所為があれば、
直ちに摘発されて、忽ち縲せつの憂き目に遇わねばならなくなる」(国書刊行会刊「論語と算盤」より)と
述べている。
 渋沢栄一は三菱の創業者、岩崎弥太郎の「ワンマン経営」に批判的で、創業にかかわった企業では「合議
制」をとった。企業にとっては「お金より人、人よりパートナー」が重要なのだ。ソニーやホンダなど成功
した企業は創業者がすぐれた人物であっただけではなく、パートナーに恵まれていたのである。ホリエモン
は、良いパートナーに恵まれなかったため墓穴を掘り、「官」に摘発されてしまった。
 ライブドアの偽計行為をみて、市場原理主義、「小さな政府」の弊害と説く人がいるが、これこそ監査シ
ステムの不備を証明するもので、政府の役割は監視行政に特化すべきことを示唆するものだ。企業の不正行
為は、内部告発がないと摘発することは難しい。
 ライブドアのビジネスモデルは自社株の大量発行から派生する信用拡大を期待するもので、会計操作も株
を売りやすくするための行為であった。これを「詐欺」だと指摘するなら、政府も郵貯の不良債権を隠し、
返済の当てのない国債を大量に発行しており同罪だろう。
 信用拡大がすべて悪いわけではない。経済がデフレに苦しむとき、政府は積極的に信用拡大を図り、経済
を活性化すべきだ。
 渋沢栄一は、ホリエモンと異なり「私益」を追求しながら「公益」を忘れなかった。「不道徳、欺瞞、浮
華、軽佻の商才は、いわゆる小才子、小利口であって、決して真の商才ではない」と述べ「論語を熟読玩味」
することを薦めている。論語の内容が今日の世界経済に適合できるかどうかには疑問が残るが、私益の追求
だけでは貧富の格差が拡大し、社会が不安定になることは避けられない。
 貧富の格差拡大は、競争原理にもとづく自由社会であっても合理的な税制で所得を再配分すれば是正でき
る。そのためにはまず格差の原因をつくる「通貨」の本質を問わねばならない。今日の通貨は兌換性を持た
ないバーチャルな存在で、紙幣は国民の信用の裏付けがなければ単なる紙切れだ。通貨の価値は国民の信用
と等価であり、通貨は国民の信用で維持される国民共有の財産(公共財)と考えるべきで、個人の財産では
ない。この考えは通貨という公共財を利用する個人または法人に課税する合理的根拠になる。通貨は価値の
媒体であり、付加価値が発生するところに流通させてこそ意義がある。公共財を投機の対象にすることは好
ましいことではなく、投機がもたらす不労所得には高率の累進課税を課すべきだ。土地や通貨のような公共
財への投機は、百害はあってもメリットは少ないからである。不労所得への課税を強化すれば守銭奴は海外
に逃げ出すかもしれないが、付加価値を生まない資産の流出なら実害は少ないだろう。
 渋沢栄一が創設した第一国立銀行は通貨の発行権を持つ銀行であった。当初の通貨は兌換券であり、担保
がなければ通貨の増刷はできない。そのために通貨の発行権を持っていても、財産がなければ信用創造はで
きず、第一国立銀行は発足早々に出資者小野組の破産で、担保不足による苦境に陥っている。
 しかし、今日の通貨は兌換性を持たず、簡単に信用膨張を許してしまうことが問題だ。
 通貨との交換が可能な株券の発行も信用膨張につながる。株券の印刷が通貨の印刷と同等の信用創造をも
たらすのだ。ライブドアの錬金術で、株券発行による付加価値を伴わない信用膨張は、通貨に換算して8000
億円にもなった。ライブドアが買収した企業の赤字や累積債務が見かけ上解消されても実態はなにも変わら
ない。信用が収縮すればもとの木阿弥で、「風説の流布」に騙されて株を購入した人は大損をすることにな
るが自業自得だ。理不尽に膨張した信用は必ず収縮する。投機の失敗は、人生の良い教訓になるだろう。
 渋沢栄一が「公益」に目覚めたのは、幼少の時から儒教に親しんできたことに加えて、銀行家という通貨
の番人を勤めたからではなかろうか?通貨流通の番人である銀行が、私益のために投機を行ったり、信用膨
張や信用収縮に走ったらその弊害は計り知れない。利潤を追求する「株式会社」の形態は、公共財である通
貨流通の番人に相応しくないのだ。
 渋沢栄一の企業倫理は「義利合一(道徳経済合一)説」として知られているが、この持説を強調しはじめ
たのは、大正5年(1916年)に第一銀行頭取を退任してからである。現役時代には、自己矛盾に陥るこ
とを避けたかったのだろう。渋沢栄一は晩年になって、株式会社ではなく、もっぱら非営利事業の育成に尽
力するようになった。
 近代日本の黎明期、西洋文明の受容期に産業育成に積極的にかかわった渋沢が、私益追求社会における弱
点と欠陥を見抜き矯正しようとした試みは高く評価される。
 銀行が私益追求企業である問題は過去の話ではない。バブル経済の崩壊で巨大金融機関が抱えた膨大な不
良債権は、投機的市場の暴落から派生した信用収縮による損失が生んだものである。投機に失敗して生じた
負債を自力返済できなくなった株式会社を公的資金で救済することは、通常の倫理観からは許されないこと
である。
 債務超過で無価値になった筈の銀行の株価は何事も無かったように回復し、銀行はゼロ金利の恩恵を受け
巨額の利益を出すようになった。紙くずになる運命にあった株を持つ銀行の株主も、ほくそ笑んでいること
だろう。これを許容する人は、倫理観が無いホリエモンと同類ではないか?

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