生活者主権の会生活者通信2006年02月号/04頁

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マネーゲームで勝てば英雄なのか!?

東京都練馬区 板橋 光紀

 先日、雨上がりの香港の町を歩いていた時だった。いっしょに並んで歩いている香港人
の友人が「軒下を歩いた方がいいですよ」と言うから、「もう雨は止んでいるよ」と答え
ると、「雨は降って来ないけど、人間が降って来ることがあるから」と、いささか穏やか
でない言葉が返って来た。

 数年前から香港では一日平均3人がビルの屋上やアパートの窓から飛び降りて自殺する
人が居り、しかも下を歩いている人が巻き添えを食って死傷者が出るなどの災難が続発、
深刻な社会問題となっていることは新聞・テレビの報道で聞いていた。

 親戚や友人知人から多額の借金をして株や先物取引に注ぎ込んで、「いちかばちか」の
勝負に出る。当たれば「億万長者」、外れたら「自殺」して債権者に勘弁してもらう。こ
ういった風潮が香港ではごく普通のこととしてまかり通っているらしい。才覚を駆使して
巨万の富を得、優雅に暮らす人々が英雄視され、額に汗して僅かな報酬を得、小さな幸せ
に満足して細々と生きる人々は、どちらかといえば「ばか者」のカテゴリーに入れられる
ようだ。

 ルールを守ることの責任感の点では、日本人より香港人のほうが認識は強いかもしれな
い。しかし「破産すれば追及を免れる」とか、「自殺してしまえば債権者は墓場まで追っ
かけては来ない」もルールの内に入れるなら、ルールやシステムの不備こそが責められる
べきで、加害者の賠償責任の範囲は、これまたルールによって「免罪」されると思いこん
でいる人は多い。個人の「誠意」や「性善説」は裁判や補償談判の場では殆ど当てにでき
ない。「金儲け」ごときに「命」を差し出すことはないと思うのだが、賭けに外れた場合、
連鎖的に発生する被害者達が先々如何に難儀するかは「想定外」であるらしい。

 経済活動が世界一自由度の高い香港では法人税も約17%と低く、その地の利を生かし
て、ややこしい取引の中継点に利用するとか、トンネル会社を設置したり、本社機能を置
くなどの日本企業も多い。20年程前までは「加工貿易地」として大小の工場が立ち並び、
原材料を輸入して完成商品を生産・輸出する業態が主流であったものが、工場は次々と中
国へ移転、今の香港に工場らしきものは殆ど残っていない。その結果、規制の厳しい中国
では仕事がし難い銀行や証券取引業などの、主に金融関連の業種が引き続き香港に居残り、
経済の中枢を担うことになる。多くのブルーカラーが職を失い、特に若い人々ほどホワイ
トカラーを志向する為、香港人全体のライフスタイルがドラマチックに変革した。

 自由経済、資本主義経済、市場原理は、観念的に「競争社会」、「学歴社会」、「拝金
社会」を誘引することが分かっていても、具体的な事象としては「情報化社会」、「グロ
ーバライゼイション」、「I.T.革命」、「能力主義」とか「成果主義」に追いまくられる
日々を送ることになる。周りを見回しても多くの人々が、それらのけたたましい喧騒のな
かで、「異様」とも言うべき風土を構築してしまっている。そして自らもマヒしてしまい、
無意識のうちにその異様な風土に歩調を合わせてしまい勝ちだ。己を省みる暇もなく、そ
の異様なマジョリティーを構成する一員となっていることにすら気づかない人が多い。

 香港にはネット投資家とか個人投資家と呼ばれる人が多い。学生時代から投資や運用に
精を出して来た人は、私が長年付き合っている人の中にも沢山いる。私はなるべく彼等に
重要な仕事を頼まないようにしている。概して彼等は落ち着きがない。本業よりも個人的
なマネーゲームが気になって、仕事に集中出来ないのではないかと危惧してしまうのだ。

 文章の草案を面倒がり、なるべく電話で済まそうとするせいか、文章を書かせると下手
な人が多い。他人の成功例を聞きつけるとすぐにその「物まね」に走るせいか、物事を深
く洞察して、自身で最善の道を考え出す訓練に欠けているような気がする。

 「電話料がタダ」も香港人ビジネスマンの能力向上に障害の一つとなっていると思われ
る。正確に言うと「無料」ではなく、料金は「回線一本でいくら」だから、かける相手が
香港域内であればかけ放題、月に何百回かけようと、1〜2回しか使わずに済まそうが、
電話の所有者が電話局へ払い込む金額は同じ。損か得かの計算が働くと、必然的に「タダ
同然」又は「何回もかけた方が得」みたいな生活習慣が身に着いてしまう。他人の家へ行
った時にも、初めて買い物に入る商店であろうとも、断りなしにその家の電話を使って平
然としていられる文化も育まれる。

 私のサラリーマン一年生の時代には、「ダイヤルする前に先方へ伝えるべき事柄をメモ
して、理路整然と話す習慣を身に着けよ」と教わったものだが、香港では余計なお世話で、
言い忘れた事を思いだしたら「又かければよい」となる。だから同じ相手から一日に何回
もかかって来ることがある。広東語はイントネーションの高低幅が広いから、大声で話す
国民性と相まって、外国人から見ると、香港人同士の会話は他愛ない内容であっても、声
を荒げた「喧嘩調」に聞こえる。大勢の人が集まる所ほど「喧騒のボルテージ」は高くな
る。食事の時間帯にレストランに居ようと、通勤途上の地下鉄車内であろうと、あっちで
もこっちでも「電話中」の光景が目に入り、耳障りである。

 最近の日本にもあったが、時々証券取引の場では「誤入力」、「誤操作」、「誤作動」
などによる「システムトラブル」もあり、「大損害」や、その反対に「ぬれ手で泡」みた
いな「不労所得」が転がり込んで来ないとも限らないから、ファストフードで腹を満たし、
自前のアンテナは四六時中世界中の出来事に目を光らせると同時に、相場のアップダウン
に集中していなければならない。まるで絶叫マシーンの真下で暮らしているような環境に
おかれる。長期間香港に滞在していると、私は情緒不安定になりはしないかと心配になる。
香港を発つ日になると少しほっとするが、車で空港へ着くと、出発ロビーの中央に据えら
れた5メートル四方の巨大なスクリーンに、24時間ぶっ通しで流れる相場の速報が嫌で
も目に入り、追い討ちをかけられた気分になる。

 私は香港を老後の永住地に選べるほど図太い神経を持ち合わせてはいないらしい。香港
出張から帰って来ると、たいてい絵画展や音楽会へ行ったりして、平常心を取り戻すのに
時間を要する。四季折々に合わせて俳句や短歌をひねり、花鳥風月を味わうのも良い。

 「ルールの範囲であれば何をやっても構わない」を旗印にして荒稼ぎをしている人は日
本にもいる。「株の時間外取引」、「敵対的買収」、「売り抜け」など、昼間から赤ワイ
ンで「スローフード」を楽しみたい我々「普通の人間」には思いもよらない手段で、他人
のふんどしを利用して、巨額の資金を操り、投機と投資に励んでいるようだ。

 「テロリストはその力不足が故に、メディアを使いたがる」と言われる。メディアを利
用して相場を人工的に煽ることが法的に許されることであっても、我々「古い人間」とし
ては将来ある若者にそれを「お勧め出来る手本にせよ」とは言いがたい。日本のメディア
の方もそのあるべき姿をどこかへ置き忘れ、短絡に「話題性」を追求するあまり、タダで
宣伝してやって、ネームバリューの高揚に手を貸し、彼等の計算通りに踊らされている感
がある。

 そこで一言釘を刺したい。彼等が買収の標的とする業種に「ラジオ放送局」と「テレビ
局」がある。税制上これらの業種は「特養老人ホーム」、「労働組合」、「農協」、「学
校法人」、「公務員共済組合」,「宗教法人」,「新聞送達業」等と同格に列せられ、「そ
の公益性に鑑み、法人事業税を免除」されている。「免除」どころか、地方税法第72条
では「国と地方自治体はこれらの企業・団体から事業税を徴収してはならない」と、厳し
い文言で国と自治体を規制している。つまりこれらの公益性の高い業種に対して「優遇」、
「公的支援」又は「ハンデ」を与えていることになる。ハンデを与えられた企業の運営や
取り扱いに「資本主義経済」の物差しをあてた、「自由経済」や「市場原理」の理屈は馴
染まない。株を上場させるテレビ局もおかしいが、上場を認める証券取引所と所管する官
庁も狂っている。

 たとえ「特養老人ホーム」が上場出来たとしても、その株が投機の具にされ、365日
24時間お年寄りをお世話する経営者や職員、それに奉仕に来て下さる多くのボランティ
アの方々の高邁な理念が大株主の損得勘定で捻じ曲げられてはたまらない。今日の株取引
は「配当金」の概念が軽視されて、資本の売買差益を享受する「キャピタルゲイン」を追
求するといった、資本主義経済のメカニズムとは少しかけ離れた、どちらかと言えば「鉄
火場の丁半勝負」に近いものだ。公益性の高い企業や団体が資金を集める手段としては
「社債」を発行して、出資者には安定した「インカムゲイン」を提供する方が似合ってい
る。

 堀江さんや三木谷さんとか村上さん達がルールの範囲で何をしようと、私には関わりの
無い事だが、メディアが「勝ち組」なる新語を用いて、必要以上に彼等を「英雄視」する
かのような報道を繰り返すことは甚だ迷惑。その裏返しが必然的にそれ以外の「普通の人
々」を「敗け組」に仕分けるがごとき印象を撒き散らすことになるからだ。少なくとも
「荒っぽい儲け話」ばかりをあまり子供に聞かせてほしくない。「額に汗して、損を承知
で弱者を支援するような子供」に育てようとしている親だって居るのだから。

生活者主権の会生活者通信2006年02月号/04頁