生活者主権の会生活者通信2005年05月号/04頁..........作成:2005年05月07日/杉原健児

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採点できる公約

東京都小平市 小俣一郎

 『マニフェスト』は、2003年に我が国に初めて登
場し、その年の流行語大賞にも輝いた。
 マニフェストとは、数値目標・期限・財源・実現
手順などを具体的に示す「事後検証可能な公約」で、
政権公約などと約されているが、それはこれまでの
「何々をします」という抽象的な公約を、「何を、
いつまでに、いくらで、どのように」行うかを具体
的に明記する公約に変えることを意味する。まさに、
候補者と有権者との「契約」である。
 このマニフェスト、「政権公約」というと、何か
仰々しく、取っつきにくいところがあるが、要は、
「事後検証が可能な公約」であり、有権者が『採点
できる公約』と言い換えるとわかりやすい。
 もちろん、厳密に言えば上記4つの項目を明示す
る公約なわけだが、それだと、例えば財源を中央政
府に握られている地方自治体の首長選挙では、誰も
「ローカルマニフェスト」を書けなくなってしまう。
そこで広い意味では、「マニフェスト」=「事後検
証可能な公約」として捉えられている。
 この『採点できる公約』の利点は、言葉の通り、
有権者が首長等の施策を採点できること、つまり、
有権者が主役になることである。
 これまでの選挙は、言わば「シェフのお任せ料理」
のようなもので、当選後は、首長等が行うことを受
動的に待つしかなかった。それは公約が抽象的だっ
たからだ。しかし、マニフェスト選挙だと、今度は
「メニューの選択」となる。具体的な項目が明記さ
れているので、当選後も、それが約束通りに実行さ
れているかを確認できるわけである。和食を待って
いたら、洋食が出てきた、ということはあり得ない
わけで、もしそのようなことがあれば、それは辞任
要求運動へと直結するはずである。少なくとも、再
選される可能性は限りなくないであろう。
 もちろん、天変地異によって「マニフェスト」が
守れない場合はあるかもしれない。しかし、その際
にも必ず「説明責任」を果たさなければならないわ
けである。
 『採点できる公約』の重要なポイントは「期限」
である。なぜなら、一目瞭然、わかりやすいからだ。
お金がいくらかかって、その財源がどうで、それが
どのように行われたかは、一般住民には容易にはわ
からない。しかし、いつまでにできたかどうかは、
だれにでも判断できる。注文したのに、一向に料理
が出てこなければ、また、注文と異なる料理が出て
きたのであれば、当然クレームが付くわけである。
 4月3日に私の地元、東京都小平市で市長選挙が
あり、マニフェストを掲げた新人候補が当選したが、
50の項目を、半年以内に行うもの13項目、1年
以内に行うもの22項目、2年以内に行うもの9項
目、4年以内に行うもの6項目に分類していた。つ
まり、新市長は、半年後、1年後、2年後と有権者
の審査を受け、そして4年後に再選させるかどうか
の最終審判を受けるのである。
 財政危機に陥った我が国は、「AもBも」という
時代から、「AかBか」という選択をしなければな
らない時代になった。
 これまでなら財布も豊かだったので、まず和食を
食べて、その後に洋食も食べることができた。要は
順番の選択であった。しかも量が多すぎで、無駄に
食べ残しをしていた。また、そのような状況では、
シェフに任せていてもそれなりの料理が出てきてい
たので、メニュー自体を問題にする必要があまりな
かったとも言える。
 しかし今は、和食を注文すれば、当然洋食は食べ
れないわけである。しかも同じ和食でも、懐と相談
してメニューを決めなければならない。このような
時代に、シェフお任せではなく、メニューの選択で
ある「マニフェスト」が登場してきたのは、ある種
必然なのかもしれない。
 しかし、いくら『採点できる公約』でも、採点を
しなければ、絵に描いた餅である。それではこれま
でのスローガン的な公約と大差がなくなってしまう。
マニフェストは民が主役となるための道具、まさし
く、民主主義の道具であるが、「活用してなんぼ」
のものでもある。
 この「マニフェスト活性化」の主役として、その
審判として期待できるのが、国政ではシンクタンク
やNPOということになるだろうが、地方自治体で
は「議会」が期待される。我が国の地方自治体は、
いわゆる大統領制であり、そのため議会が何をして
いるのかが、今一歩よく見えてこない。ところが、
マニフェストを掲げて知事が、市長が当選したので
あれば、それを誠実に実行しているかどうかを監督
するのは、地方議会の大きな役割になるはずである。
『採点できる公約』といっても、期限以外は市民に
はわかりにくい。ならば議員が住民に代わってその
役割を果たすべきで、そこにこそ地方議会の新たな
存在意義が生まれてくるのではないだろうか。
 北川前三重県知事は、マニフェストを『気付きの
道具』と強調する。マニフェストにより、有権者は
「自分たちが真の主役である」ことに気付き、地方
議会はその存在意義に気付くのである。
 マニフェスト選挙になると『政策』が主役に躍り
出る。『採点できる公約』は、まずその選挙で、適
正、現実性を採点され、次にそれが実現されたかを
採点される。そして、それが次の選挙に間違いなく
影響していくことになる。
 政策が主役になれば、「公約は守らなくてよい」
などと発言するような首相は、即刻退陣を迫られる
ことになるであろう。もし何らかの理由で公約の変
更が必要なのであれば、首相は国民が納得できる説
明をしなければならない。それが当然の責任である。
 今、マニフェスト選挙が地方自治体の首長選挙に
深く広がりつつある。公約を採点することが、地方
で広がっていけば、その傾向は間違いなく、国政に
も波及するはずである。
 マニフェストによって、日本の政治は大きく変化
を遂げようとしている。

生活者主権の会生活者通信2005年05月号/04頁