生活者主権の会生活者通信2005年03月号/05頁..........作成:2005年03月02日/杉原健児

全面拡大表示

大東亜戦争敗戦後遺症の克服

東京都大田区 大谷和夫

 オランダのジャーナリストであるカレル・ヴァン
・ウォルフレンは「なぜ日本人は日本を愛せないの
か・・・この不幸な国の行方」を書き、日本には政
治的アカウンタビリティーの中枢が無く、権力をも
つ官僚に対して、政治による有効な支配が存在せず、
昏睡状政治システムであり、まともな独立国家では
ないと日本国の問題点を指摘している。しかしこれ
は大東亜戦争敗戦直後、進駐軍が日本の政治を無視
し、官僚を温存してその権威主義を更に強力にした
ことが未だに尾を引いている事も大きな原因ではな
いかと思われる。               
 たまたま私は旧制高校2年の時終戦を迎え、占領
期間中に旧制大学を出て就職したので、進駐軍の教
育に対する干渉、修身、国史、地理の授業停止や教
育制度の変更の影響はなかった。又当時高校・大学
共に寮生活で、テレビはなく、新聞ラジオとは無縁
の生活をしていたので、進駐軍の日本の戦争犯罪宣
伝計画にも触れなかった。ただはっきりしていたの
は、当時の知識人と称する連中が、戦争中の右翼的
発言を 180度転換して左翼的言辞を弄するのに甚だ
不信感を抱いたのを今でも記憶している。今日でも
日本の問題の大半は、米国進駐軍の洗脳工作で、日
本国の中に愛国心や靖国神社の参拝を否定するよう
な反日的思考が未だに残存し、国内が歴史観で分裂
している事によるのではないかと思う。     
 これに対してアメリカの歴史学者であるジョン・
ダワーは「敗北を抱きしめて・・・第二次大戦後の
日本人」を書き、米軍占領下の日本を事細かに上下
2巻に記している。彼は歴史家であるにも拘わらず、
日露戦争直後から米国は対日殲滅戦略を練り、その
通り実行した事については全く触れず、中共の宣伝
文句そっくりに、日本はあちこち侵略し、又あちこ
ちで残虐行為を行ったと証拠もなしに断定している
事自体は甚だ頂けないが、それでも進駐軍の占領政
策には幾つかの重要な批判をしている。     
 大東亜戦争は1941年12月8日に始まり、1945年8
月15日天皇のポツダム宣言受託、通称終戦の詔勅が
発表され、同年9月2日戦艦ミズーリ号で降伏文書 
に調印され、日本は敗北した。間もなく連合軍とい
う名目で米軍の最高司令官マッカーサー以下が日本
に進駐し、戦争の3年8ヶ月間より倍近く長い6年
8ヶ月間日本を占領し、植民地帝国主義者として徹
底的に日本の伝統文化の破壊を行い、日本が二度と
立ち上がれないよう、国際法に違反してまで、占領
中に憲法を制定し、勝者による敗者への復讐である
東京裁判を行い、30項目に上る徹底的検閲政策を行
って一切の批判を禁止した。この結果公式には1952
年4月28日午後10時30分、日本の主権は回復された
が、その直後の世論調査で日本が独立国家になった
という認識は41%に過ぎず、現在でもこの日を認識
している人は多くない。            
 例えば1945年12月、 GHQは大東亜戦争の呼称を禁
止し、自民族中心の太平洋戦争という呼称を強制し
た。英国は極東戦争と称しているが、太平洋戦争と
いう呼称は英・仏・和の植民地であった東南アジア
における戦争を無視しており、大東亜共栄圏という
思想を否定し、その呼称や議論を強制的に禁止する
ものであった。                
 憲法も、極東委員会の出来る前に、マッカーサー
の指示で、 GHQ民政局員が第一生命ビルの1週間の
秘密会議で英語で書き上げたものであったが、それ
に触れる報道は禁止されていた。言う迄もなく主権
のない状態で占領者が憲法を作るのは国際法的に違
法である。更に1950年6月朝鮮戦争の勃発でアメリ
カは日本に今度は再軍備を強要したが、日本に断ら
れたのはオー・ミステイクであったとジョン・ダワ
ーは書いている。今でも、湾岸戦争の時のように、
日本が憲法9条を守れば世界中から嘲られ、さりと
てこれを放棄すれば激しい抗議を受けるであろう、
ということで、日本の独立は従属的と言わざるを得
ない。                    
 通称東京裁判も、GHQのウィロビー少将ですら史 
上最悪の偽善だと語っており、裁判にかける戦犯を
選んだソープ准将もA級戦犯の裁判は基本的に復讐
の営みと看破している。第一国際法に通じる判事は
11人の判事の中でインドのパール判事のみで、かれ
は全員無罪を主張したが、その判決文は長らく公開
されず、又東京裁判から公式記録は一切刊行されな
かった。その後60年近くたち、世界では 300以上の
戦争があったが、A級戦犯なる概念はその後2度と
現れていない。又独立後の1953年、国会では社会党
も含めてA級戦犯の汚名の解除を決議し、これがそ
の後の靖国神社への合祀につながったものである。
その経緯を知らずに、今時A級戦犯の靖国神社への
合祀はけしからん、等という中国の嫌がらせに便乗
したり迎合する輩がいるが、甚だ不勉強のそしりを
免れない。                  
 靖国神社は占領期間中は進駐軍の兵士によって警
備されており、最近米国のブッシュ大統領も来日時
靖国神社への参拝を願ったが、日本政府によって断
られ、明治神宮に変更した。それも小泉首相と一緒
にという要望はみたされず、一人で参詣した。占領
期間中は、日本が英霊などというのはとんでもない
ということであったが、今や米国ですら国のために
戦って死んだ者を祀るのは当然であるという国際常
識が通じるようになった。尚神道では死者の霊を祀
るのであって、墓地とは関係ない。尚お釈迦様直伝
の仏教にもお墓はない。            
 平和条約が発効し、日本が主権を回復した1952年
4月28日の直後の5月1日のメーデーは、暴力事件
となって爆発した。皇居付近で「単独講和」とアメ
リカの軍事同盟に反対する人々と警察が衝突し、デ
モ参加者2名が死亡し、警官を含む数百名が怪我を
し、「血のメーデー」と呼ばれ、政治的にも思想的
にも日本は激しい分裂状態にあることが露呈した。
実は GHQの当初の政策で日本国内に左翼勢力が伸張
し、途中から GHQはこれを抑える側に廻り、日教組
の影響排除のため全国に足を運び、1948年夏には公
務員のスト権を取り上げ、1949年のレッドパージは
進駐軍内部ではトラブル・メーカー狩りと呼ばれて
いたという。いずれにせよ進駐軍が種を蒔いて日本
は分裂し、今日に至っている。         
 ここで大東亜戦争に関連して、世界史の見方にも
注意を要する。日本には明治に入って歴史学の導入
と共に、虚飾の西洋史が世界史として導入された。
更に戦後歴史学者と教育学者が完全に左翼に席巻さ
れてしまった。このため誤った西洋崇拝から自虐史
観が登場し、今日に至るまで完全には排除しきれて
いないが、早急に歴史観を改める必要がある。  
 実はギリシャ・ローマからヨーロッパは世界の中
心であったかの如く宣伝しているが、ギリシャ文明
も元はエジプトから伝来したものであり、ローマ帝
国はゲルマン諸族の来襲で滅亡したが、これは民族
の大移動ではなく、大侵略であった。その後キリス
ト教の三位一体論に反対してイスラム教が勃興して
から、イスラム圏が中心となり文明を引き継いでき
た。15世紀後半からルネッサンス等ヨーロッパも復
権しはじめ、イベリア半島でイスラム勢力を駆逐し
た余勢を駆って、中南米に侵略を開始し、ポルトガ
ル・スペインからオランダ、イギリス、フランスと
白色人種の世界植民地化が進行し、アメリカ、オー
ストラリア、ニュージーランド等もその一環で白人
が原住民を征服して居座ったものである。アメリカ
大陸を初めとして、アフリカ、中東、アジアも殆ど
植民地化し、アジアで純粋の独立国は日本とタイだ
けになり、植民地化に出遅れたアメリカが日本殲滅
を狙ったのは20世紀初頭であった。大東亜戦争で日
本は敗れたが、日本の健闘を間近に見て、アジアを
始め世界各地で独立運動が高まり、今や様相は一変
した。このような世界史の大きな流れに注目すると、
まだ自立基盤の確立していない新興独立国を如何に
健全な成長に導き、合わせて地球環境の破壊を防止
することに今後の先進各国の歴史的使命があると思
われる。                   
 一方ウォルフレンやダワーの書を読んでいると、
中国の出鱈目PR攻勢がすさまじいことに驚く。日
本も今や島国に閉じこもっているだけでなく、積極
的に海外に出て、邪論を排し、正論をねばり強くP
Rすべきであると思う。官僚支配から脱却して、自
己責任を原則とする民主主義を徹底し、世界の健全
な成長に国をあげて貢献すべきである。     
 <http://homepage3.nifty.com/ne/ne/bokujin/>

生活者主権の会生活者通信2005年03月号/05頁