生活者主権の会生活者通信2004年12月号/02頁..........作成:2004年11月28日/杉原健児

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<新ライフスタイル特集>
21世紀のライフスタイルを考える

東京都港区 梶原光惠(miko-0001@ezweb.ne.jp)

 猛暑、台風、地震と立て続けに克服したはずの大
自然から猛威を奮われ、謙虚に生きよ、と神が日本
に警告しているような今日この頃です。     
  さて、21世紀のライフスタイルを考える会が、
松井氏らのお力で再度立ち上げられることになり元
委員長としてお慶び申し上げます。始めた頃は未来
であった21世紀が現実となり、その入り口に私た
ちは生きています。まだサラリーマン社会に違いは
ありませんが、早めに退職し田舎でスローライフを
楽しむ人や、都心に居を構える人が増えました。 
 自分の生き方を求めフリーターとなる若者も多く
なり心配されますが、来年の新卒者の内定率が上が
ったそうです。団塊の世代の大量退職を見越して、
と言うのがイヤな感じですが世の仕組みそのもので
すね。年金問題も、景気が上向き出生率が2人以上
になれば解消されるでしょうに。もちろん役人の無
駄遣いをやめさせて、です。          
  日本は今おじさんとおばさんの国になっています
が、若人にいかに日本のアイデンティティである文
化を伝えるか、が重要であると思います。日本は国
の始まりから、職人の国なのです。ブルーカラーと
厭う風潮は国を危うくします。ホンダやトヨタの始
まりは、ブルーカラーとも言う職人魂ではありませ
んか。                    
  出生率2人以上を達成するために、結婚したがら
ない若い人をどうするか、子供を作りたがらない若
い女性をどうするか、誰に介護をしてほしいか、皆
さん考えてみて下さい。期待しています。    


<新ライフスタイル特集>
スローライフの意味を考える

東京都渋谷区 林 浩美(m163m@k7.dion.ne.jp)

 スローライフについて思っていることを書いてほ
しいと言われ、はたと考えたら、いったいスローラ
イフとは?というところからはじまってしまった。
仕事がらスローフードというテーマでの切りこみは
良く理解しているつもりだが、ライフとなると個々
人のスタイルが多様にあり、画一されたものではな
いことに気づく。               
 私自身は海と山に囲まれた田舎で生まれ育ったが、
現在は都会中の都会、東京渋谷で暮らしている。人
生の半分を田舎、もう半分を都会で暮らした。幼い
頃は田舎の自然に育まれ、20代30代を都会の文
化で暮らしている。よくあるパターンのライフスタ
イルである。しかし、今の日本には田舎らしい田舎
も少なくなった。               
 スローライフ提唱の傾向から私が感じる現象は、
わざわざ手付かずの自然豊かな土地を目指したり、
生活習慣をあえて手のかかるものに変えてみたりし
て、それだけでスローライフの勧めなどと言ってし
まうのは余りにも陳腐ではないだろうか。また、そ
れを体現できる人々はそれが可能な特殊な環境にあ
る人達だけに見える。             
 スローライフとは個人の時間、空間だと思う。自
分のペースを守る生き方なのではないだろうか。そ
れは都会生活の中でも充分可能なライフスタイルで
もある。                   
 私も自然は大好きだ。だが都市の暮らしがすべて
ハードだとも思わない。その人の生き方考え方次第
なのだと感じている。そこに21世紀のライフスタ
イルを考える意義を感じる。もちろん、仕事との関
わり方や地域コミュニティの問題を切り離して考え
ることは出来ない。都市計画や環境保全も大きな意
味で個々人のスローライフに関わってくるのだろう。
べることも生活することも人に優しい環境づくりが
求められていることは確かである。       
 最近ではロハスという言葉がスローフードに続く
勢いでもてはやされている。Lifestyle of Health 
and Sustainability の頭文字をとった言葉で、直 
訳すれば「健康で持続可能なライフスタイル」。私
はロハスな都市空間づくり、持続可能なまちづくり
に目を向けることも一つのスローライフの提唱では
ないかと考える。逃げ出すのではなく、見なおす、
作りかえる。それはかなりの手間と時間がかかる作
業でもあるが、自分たちの生活環境づくりにじっく
り取り組むこともスローライフをうたう主体的市民
の役割ではないだろうか。
 もう一つ、話がそれてしまうが、スローライフ=
自分のペースを守る生き方という部分で、私をはじ
め健常者と言われる人々は障害者といわれる人達の
生活ペースというものを本当に理解しているだろ 
うか?障害者施設や養護学校には「健常者のなかで
上手く行動できるように」という発想が未だある。
ノーマライゼーションという言葉を最近良く聞く。
障害者でも健常者でも、その人の住んでいる地域 
でありのままに普通の生活を営むことを当然とする
という福祉の考え方をノーマライゼーションという。
しかし「ノーマル」とは健常者の基準であり、やは
り健常者優位の発想がぬぐえないと感じる時がある。
私の甥は自閉症という障害を持っている。どこに行
っても受け入れてもらうまでの過程が大変だ。家族
も一時も目を離すことができない。行動障害と発育
障害があり外に出てもパニックを起こすと白い目で
見られ、ろくろく買い物すら出来ない。     
 きっと、街中、地域中、日本人の心そのものがそ
のような障害をもった人達に対し同じ目線でものを
見ることができ、そのスロースピードを理解し受け
入れられる環境が整い、皆が自らの特性を認め合っ
て自然体で暮らせる時が来るとすれば、その時こそ
がスローライフが実現している時かも知れない。 

生活者主権の会生活者通信2004年12月号/02頁