1992年大前研一氏が「選挙で日本を変え、平成維
新を実現しよう」と「平成維新の会」を立上げた。
この呼びかけに共感する多くの同志が全国各地から
集まった。1993年の衆議院議員選挙では108名を
推薦し、全国各地で候補者支援活動を展開し、推薦
者82名が当選した。平成維新実現の第一歩を踏み
出したと思った。
同年細川政権が誕生し、初めて自民党政権が新政
権に変わり、平成維新実現が現実のものになったよ
うに見えたが、翌年細川政権が倒れ、再び自民党中
心の政権に逆戻りした。
1995年大前研一氏が東京から日本を変えよう、平
成維新を実現しようと都知事選に立候補、日本国中
から同志が応援に駆けつけ、選挙のためのビラ配り
やポスチングに燃えた。結果は落選であった。
同年平成維新の会は解散し、各地の会に分離独立
して、それぞれ独自に平成維新実現を目指した。
本会も、平成維新を実現する都民の会から、改名
生活者主権の会として、平成維新実現のための活動
を続けた。試行錯誤各種活動を続けて来たが、中々
先の見える具体的活動が見出せないまま現在に至っ
ている。
一方、小泉政権になり、自民党をぶっ潰しても構
造改革をやるとの意気込みに一時期待された。しか
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し、自民党旧態の抵抗勢力に骨抜き後ろ向きにされ
まともな改革は出来ないことが判明した。政官業癒
着の自民党中心の政権では、誰が総理になろうが真
の改革は出来ないことがはっきりして来た。政権交
代なくして、平成維新実現はありえない。
折りしも総選挙を目前にして、民主党と自由党が
合併して、政権交代に向かって意欲的に動き出した。
政権交代の最大のチャンスが訪れた。今この勢力を
支援して、一挙に政権交代に持って行くことが「平
成維新実現」への最短の道であると思う。
そこで「菅直人を総理にする会」を立ち上げた。
街頭の「のぼり」と「インターネット」の新兵器を
フルに活用して、全国的運動にして行く新戦略を展
開している。勝算は十分にある。しかし何故か、本
会の同志は数人を除いて知らぬ顔である。私はこの
活動こそが「選挙で日本を変え、平成維新を実現し
よう」の初心に帰った活動だと思う。
私は「新政権実現」のために、最後まで戦う積も
りである。もし不幸にも、今回政権交代が実現出来
なければ、次の総選挙2007年までは手も足も出
ない。従ってその時は、私は選挙で日本を変える運
動からは身を引きたいたいと思っている。勿論、本
会・生活者主権の会に居ても、初心貫徹が出来ない
ので退会する。私は堕落だけはしたくない。
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