生活者主権の会生活者通信2003年05月号/08頁..........作成:2003年05月09日/杉原健児

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呼称の歴史・・・大東亜戦争と太平洋戦争

大田区 大谷和夫

 第二次世界大戦におけるアジア太平洋地区の戦争
を日本は大東亜戦争と称したが、アメリカは太平洋
戦争と称し、イギリスは極東戦争と称した。ここで
は大東亜戦争及び太平洋戦争の呼称の歴史をできる
だけ明らかにしたい。             
1.パリ講和会議における日本の人種平等提案
  第一次世界大戦後1919年(大正8年)1月19日 
 パリ講和会議が開かれ、日本は国際連盟設立の趣
 旨の一環として人種平等の提案をした。これはア
 ジアにおける欧米諸国の植民地の独立を念頭に置
 いたものであったので、植民地保有国からは悪意
 ある提案とみなされ、理想主義者ともいわれたア
 メリカ大統領のウィルソン委員長に否決された。
2.支那事変
  1937年(昭和12年)7月7日廬溝橋事件が発生 
 し、これを契機に支那事変が起こった。ただ相手
 が中華民国国民党軍だったり、中国共産党八路軍
 だったり、地方軍閥だったりした。尚廬溝橋事件
 は中共が仕掛けたものと発表されている。   
3.大東亜新秩序宣言
    1940年(昭和15年)7月26日、日本政府は基本 
 国策要項として「大東亜新秩序と国防国家の建設」
 を発表したが、アジア地域の欧米の植民地の独立
 を図るものとして、人種平等提案と共に植民地を
 領有する欧米諸帝国の対日警戒心と反発を強める
 事となった。                
4.大東亜戦争
    1941年(昭和16年)12月8日英・米等に対して 
 宣戦布告し、コタバル上陸、ハワイ海戦が行われ
 た。但しアメリカ海軍駆逐艦ワードの先制攻撃に
 よって開戦した。              
   同年12月10日の閣議で決定し、同月12日に支那
 事変を含めて大東亜戦争と呼称することが発表さ
 れた。これは大東亜新秩序建設の為の軍事行動の
 総称で、アジア諸国の独立を目的とし、戦争地域
 を大東亜のみに限定するものではないと発表され
 た。                    
5.明治時代の太平洋戦争
    1879〜1883年(明治12〜16年)南米のボリビア 
 政府のチリ系硝石会社への課税 強化と接収でチ
 リが怒り、ボリビアとその連合軍ペルーに対して
 チリが宣戦布告し、太平洋戦争が発生した。日本
 ではあまり知られていないが太平洋戦争と称した
 のは事実である。              
6.昭和時代の太平洋戦争と被占領時代
    1945年(昭和20年)9月20日勅令第 542号が出 
 され、「ポツダム宣言」の受諾に伴い、連合国最
 高司令官の為す要求に係わる事項を実施するため、
 特に必要ある場合においては、命令をもって所要
 の定めを為し、及び必要な罰則を設ける事を得、
 となった。                 
  これに基づき、 GHQは同年12月15日「神道指令」
 による命令として公文書に対し「大東亜戦争」、
 「八紘一宇」なる用語を禁止し、大東亜戦争とい
 う呼称を禁止し、同年12月8日より、アメリカ製
 の米国中心の歴史書「太平洋戦争史」を日刊紙に
 連載し、言論統制で太平洋戦争という呼称が強制
 的に使われることになった。又ラジオでそれをド
 ラマ化した「真相はこうだ」を放送し、日本は犯
 罪国家だと一方的な宣伝活動を行った。    
7.米国製歴史観の刷り込み
  戦争犯罪周知宣伝計画(WGIP)については、本誌 
 2002年6月号に「島国根性を脱し、健全な国民精
 神を回復せよ」に述べたので割愛するが、WGIP及
 び東京裁判は日本人を骨抜きにする為の反日原理
 主義、自虐思想の根源となった。1945年(昭和20
 年)12月31日には修身、国史、地理の授業を停止
 し、翌年4月には全国の小中学校で「太平洋戦争
 史」を使用すると共に、教科書を書き改めさせた。
 (その弊害が今日でも残っている。)     
8.大東亜戦争の呼称復活と戦争犯罪の否定決議
  1952年(昭和27年)4月11日、講和条約の成立  
 に伴い、政府は法律第81号により、勅令第 542号
 を廃止し、占領軍の命令指示はその効力を失った。
 従って法律上は「大東亜戦争」の呼称は復活した
 ことになる。更に1953年(昭和28年)8月国会で
 は社会党を含めて「戦争犯罪」否定の国会決議が
 行われている。尚A級戦犯の指定は明白な国際法
 違反である。                
  今日「太平洋戦争」という呼び名を安易に使っ
 ている人は、無意識のうちにアメリカの立場で戦
 争を見ていることになっている。       

【上記小論は、以下の経緯で大谷和夫さんにお願いし、寄稿頂きました】
 本号1頁巻頭言「冷徹な現実主義外交」の文中の「太平洋戦争」の呼称の是非について、役員他のメーリ ングリスト(ML)上で議論が行われました。この議論の中で、「太平洋戦争」と「大東亜戦争」の呼称に ついて、皆さんの間で大きな認識のずれがあることが分かりました。そこで、大谷さんに、史実に基づいた 「太平洋戦争」と「大東亜戦争」の呼称の由来を解説した「小論」の寄稿をお願いしました。(杉原健児)

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