生活者主権の会生活者通信2003年03月号/06頁..........作成:2003年月日/杉原健児

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首都高速値上げ反対キャンペーンの御報告

生活者主権の会代表 岡戸知裕

  12月21日首都高速は、利用者からの批判を受
けたという理由により、800円への値上げを撤回
しました。皆さんの御協力に感謝致します。   
  反対運動中、フジテレビの報道2001の竹村健
一氏から、当会の方針に賛成する旨のお手紙を頂戴
し番組の中でも高速道路無料開放に賛意を表明され
ておりました。テレビのニュースキャスター久米宏
氏を含む全員に郵送し、また石原都知事にも直訴し
ました。                   
  首都高速の大株主は東京都ですので、知事への直
訴は効果があったと思います。但し、首都高速神奈
川線については、100円上がって600円になっ
ており、通常東京線との価格差が200円であった
ものが、現在100円差となっています。    
  このまま、東京線が700円で据え置かれるとい
うことは、考えにくく、恐らく来年春には再度値上
げを申請してくるものと予想されます。     
  今後もデフレ下の公共料金の値上げや増税に断固
反対してゆきたいと思っています。       
  パチンコ、競馬、マージャンに狂った、放蕩息子
(政府)の更生の可能性は全く無いとみていますが、
とにかく“金”(税金)を渡さないことが最善の策
だと思います。首都圏市民会議の立場は基本的には
生活者でもある自動車ユーザーの立場です。   
  その自動車ユーザーは、1年間に10兆円もの税
金を支払っています。この10兆円という金額は、
アクアラインと3本の本州四国連絡橋を1年に2回
建設できる金額です。また日本の国土の20倍ある
米国の道路予算とほぼ同じ金額です。日本人は、金
持ちなのか、お人好しなのかわかりませんね。  
  その10兆円の上にさらに1兆8千億円の高速料
金を支払っています。要するに政府/自民党道路族
は、国民から取れるだけ取ろうというのが基本方針
のようです。これでは景気が失速するのは、子供で
も分かりますね。この数字のバランスをみれば、高
速道路無料開放は、誰でも納得がゆくと思います、
つまり高速料金を10兆円に含ませることを意味し
ます。また放蕩息子に金を渡さないという更生プラ
ンでもあるわけです、当然の事ながら10兆円から
ガソリン税の臨時措置分1兆4千億円を引いて頂い
て、自動車ユーザー負担8兆6千億円(高速料金込
み)でも良いわけです。根本改革というのは、すべ
てゼロベースで考えるのが常識です。      
  小泉政権の高速道路民営化は、公団という非効率
な組織を残し今後半世紀近く高額な高速料金を取り
続け(フランスの4倍)、地方経済の活性化を妨げ
ながら、従来通りの談合方式(自民党へのキックバ
ック温存)で高速道路建設を継続させようとする自
民党の本音が見えますね。これがまさに小泉流のキ
ツネ騙しだと思います。彼はライオンの皮を被った
キツネですね。                
  そして最後に猪瀬委員の表現“道路の建設費はズ
ブズブだ、つまり1/5 の予算で道路は出来てしまう”
を付け加えたいと思います。          

政治に哲学を!

文京区 松井孝司

 平野貞夫著「危機の日本−議会政治」を1日の会
で沢井さんからお借りして読んだ。著者の平野氏は
自由党の副幹事長で、法政大学卒業後、衆議院事務
局に勤務し、副議長を務めた園田直氏、議長を務め
た前尾繁三郎氏の秘書を務めたとのことである。平
野氏によれば歴史と思想を探求して「人間と政治」
について理論化を試みた人物は前尾繁三郎氏をおい
て他にないそうだ。「東洋思想の智恵で日本政治の
再生を」と副題があり、その概要を紹介している。
議員の著作にしては珍しいゴーストライターに依ら
ない作品と思われる。             
  土佐出身の同氏のホームページを開くと「平成南
学」という文字が出てくる。土佐の「南学」は論語
を中心とする人間の生き方、政治のあり方などにつ
いての教えで、江戸時代には土佐藩の施政や産業振
興の理論となり、その儒学思想は明治維新の原動力
となった。尊王の思想を基盤とする水戸朱子学に徳
川慶喜が洗脳されていたために、戊辰戦争で慶喜は
夜逃げし、江戸幕府が簡単に倒れたことは否定でき
ない。「王=天皇?」に反抗することは不正義にな
るのだ。                   
 平野氏の著書によれば「政」という文字の左側は
「正しい」の意味であり、右側は「力」を意味する
という。東洋における「政治」は「正義に権力を与
える」ことを意味する。問題は「正義」の内容であ
る。正義の内容ほど、多様且つ変化の落差が大きい
ものはない。思想、信条が異なれば、正義の内容は
異なり、思想、信条の数だけ「正義」が存在する。
社会にとっての「正義」は存在しないという意見さ
えある。社会主義、共産主義国家の崩壊で、ソ連や
お隣の中国では、価値観は180度転換し、社会正
義の内容も大幅に書き換えられた。しかし、「正義」
の内容がばらばらでは、法治国家は成立しない。 
 わが国の現状を見ると、国内は勿論、信条を等し
くする筈の政党内でも異なる価値観を持つ集団が存
在し、「正義」の内容がばらばらだ。これではまと
もな政治は出来る筈がない。政治に「哲学」が求め
られる理由がここにある。明治維新では「尊王攘夷」
の思想を克服し、知識を世界に求め殖産興業に努め
たのは良かったが、旧軍人に残っていた「尊王攘夷」
の思想が勢力を盛り返し、転落の道を歩むことにな
った。「貧困な思想、哲学」は、「貧困な社会」を
創り出すことになる。問わねばならないのは思想、
哲学の内容であり、求められるのは普遍性を持つ思
想、哲学だ。                 

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