生活者主権の会生活者通信2002年10月号/08頁..........作成:2002年09月28日/杉原健児

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今日本の民主主義が試されている

文京区 松井孝司 (tmatsui@jca.apc.org)

 本誌9月号(第85号)で当会の平岡道州制実現
推進特別委員長は「脱ダム」宣言を行った長野県の
田中知事に「フレーフレー田中!」と声援を送られ、
田中氏は大差で当選された。巨額の借金と敵対する
議会を背負う田中知事の試練はこれからだ。借金財
政と会派が牛耳る議会は長野県だけの問題ではなく、
わが国の地方自治体に共通するものである。   
 地方自治体は当会が実現を目指す道州制の成果を
左右するものであり、道州制実現は地方自治体にも
大変革を迫ることになるだろう。        
 わが国の地方自治制度は首長と議会からなる独特
の二元代表制をとっている。首長と議会は対等の権
限を持ち、両者の意見が対立した場合は前に進めな
い仕組みになっているのだ。          
 立法権と予算の議決権を持つ議会に複数の代表を
選出する理由は多様な価値観を前提に議論を重ね、
地域住民の叡智を結集することを期待されているか
らであろう。議会は多様な意見を斟酌し、首長の提
案に優る賢明な政策を立案してこそ存在意義があり、
首長と議会は緊張関係を維持しながら相補的関係で
結ばれるのが望ましい。首長には実行力を議会には
明晰な頭脳と政策立案能力が求められるのである。
 しかし、明治以来の中央集権制を温存する地方自
治体では中央政界直結の会派が首長に迎合して総与
党化し、与野党意識が議員個人の行動を歪めている
のではないだろうか?             
 長野県ではこの構図を崩し、最大会派は解散して
議会に変革を迫ることになった。会派が牛耳る議会
なら会派の数だけの議員で十分だ。自らの行動を恥
じ、辞任した議員には「あっぱれ」と賛辞を送りた
いが、居残る議員には住民の信託に応えられる資質
と、受け取る給与に見合う賢明な政策立案能力を求
めなければならない。             
 住民参加はもっぱら首長に対するものと捉えられ
ているが、地方議会を正しく機能させるために地方
議会に対しても住民参加が行われるべきだろう。議
員は会派の拘束に従うのではなく、有権者個人の信
託に応える行動をとるべきである。       
 幸いなことに地方自治体は直接民主制というシス
テムをとっているため、住民の意志を直接反映させ
ることができる。田中知事は県議会を解散し信を問
うべきであった。地方自治体は「民主主義の学校」
であり、自治体を見れば住民の知的レベルが判る。
 最近無党派市民や勝手連と称する住民の支持を受
けたユニークな個性を持つ首長が誕生しつつあるが、
対応して議会が変わらねば首長と対立するケースは
続出するだろう。現状は田中知事のような理念を持
つ首長は少数派で、環境破壊を意に介せず独走する
首長の方が多いのではなかろうか?       
 変わり者や石頭の首長が選出され独走しても、二
元代表制で独裁者の出現は阻止できる。問題は議会
で、議員の知的レベルが低く、利権に固執する議員
が多いといつまでたっても意見集約ができず、機能
マヒに陥るならまだ良い方で、間違った方向に走り
出す可能性がある。議論を尽くしても意見の分かれ
る政策の選択に際しては住民投票制度を設けて信任
を問う方法(=究極の直接民主制)を検討すべきで
ある。                    
 ユダヤ人のマーヴィン・トケイヤー氏は「日本国
民は心の巣を失って目的地がわからなくなり、民主
主義的な行動とされるものも混乱を示すものでしか
なく、日本に民主主義はない」といっているが、日
本の地方議会の会派を見ているとその感を深くする。
議会にあるのは「議論」より「会派による談合」で
あり、良識ある議員個人の識見、政策が見えないの
だ。今試されているのは日本の民主主義である。 

生活者主権の会生活者通信2002年10月号/08頁