忘却への回帰 -7

東京都渋谷区 塚崎 義人

 

「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、

ひろく、ひろく、もっとひろく〜〜〜」

薬師寺元管長・故高田好胤師

 

源流-7(心の世界)

 

 心の世界の“たどるべき普遍性”、というのは。

ここでいう意味は、宇宙(物質世界)で、生命(生物世界)で、こころ(心の世界)で、どの世界にもあてはまる最善な考え方のことです。人は物質として生き、生物として生き、心の営みを味わい生きます。それぞれの世界はすこしずつ次元を高めながら進歩しているのですが、ただ、私たちは心の世界を一つの世界であると、まだはっきり理解するまでに至っておらず、心の世界はまだまだ未完成で道半ばです。

 

 もともと、人という生物の個体に心の世界は生まれました。

心は個体の中でしか存続できず、個体が滅びれば心の世界も滅びます。個体で生まれた心の世界は個体の内部から外部の他の心の世界に向かって接触し、個体を超え外部の多くの心の世界と接触し、個体と他者とが絡み合う関係の心の世界へ広がり、人々は他者との関係という社会を構成しています。その結果、私たちが住む社会は二つの世界を内包するようになりました。一つは人という生物の世界の社会、もう一つは心の世界の社会です。私たちは生物と心のそれぞれのルールものとで生活し、ある意味、私たちの社会は生物から心へと連続しながらまったく断絶した「自己矛盾の社会」といえます。私たちは二つのルールのもとで生きている現実をしっかりと理解する必要があります。

 

この“自己矛盾の社会”には生物と心が複雑に混在し入り組んでいて、この社会で生活する人々の特徴は“強靭さ”と“脆弱さ”の二面性を合わせ待ちます。

“強靭さ”というのは生物が、核酸から細胞へ、細胞から個体へ、個体から個体群(社会)へと運命を切り開き、個体は社会に埋没し単独では生存が危うく、生まれた時から社会の構成員であり、弱肉強食・優勝劣敗の自然淘汰の法則に耐え生き残る“集団の優先さ”をいいます。

“脆弱さ”というのは心の世界が、表象から複合表象の心へ、そして個体としての心へ、さらに個体と他者の関係という心の社会へ、ただ心の社会は歴史的に日が浅く個人の自由意思に基づいて心と心を結び一つ一つ連帯するので、社会が構成されるのは心と心の結び目しかなく、集団より“個人の尊重”が大切にされます。

そのため生物の世界と心の世界が複雑混在し重層化する関係の社会ではお互い決定的に激しく対立するところが多々あるということです。

 

 このような自己矛盾の社会は、次世代へどのように引き継がれるのでしょうか。

“強靭さ”と“脆弱さ”、二つが重なり合う自己矛盾の社会は複合する段階を経た継承の仕方をします。心の世界は個体に生まれ個体の中でしか生きられず、もし人間という個体が滅びれば心の世界も滅びてしまいます。ですので、心の世界の再構成は、生物として個体の世代交代(親から子へ)からで、世代交代した新しい個体に心の世界が構成され他の心の世界との関係としての人間社会を再構成するという二段構えの継承にならざるえません。このことは、とても複雑で不安定な継承の仕方になります。生物世界と心の世界は連続と断絶する絡み合う世界なので、二つの世界がまったく断絶した別の世界であることを考えると、世の中のあらゆる出来事は二つの世界での現象が複合されたものです。

 

生物世界と心の世界の再構成の仕組みは。

生物世界の再構成は“自己増殖”が基本原理です。

核酸から細胞へ、細胞から個体へ、個体から社会へとそれぞれ階層がありますが、かならず、再構成は一つ下の階層から前の階層の関係に依存します。個体は細胞から、社会は個体から再出発です。生物としての人という個体が生まれる過程では、生命としての系統から発生して反復し、コマの早送りの短時間で再現され、人類の過去からの歴史がそこに圧縮され受け継がれ、先祖の遺産をすべて背負って誕生します。

 

心の世界の再構成は、“自己回帰”が基本原理です。

記憶から表象へ、表象から個体の心へ、個体から社会へとそれぞれの階層がありますが、

心の世界はゼロ地点(記憶)から出発します。というのは生物としての人の心の器は白紙の状態で、個人の心は教育や経験や体験を通して人格などが形成されます。

ましてや、人の社会の受け継ぐ次世代は自分と他者との関係なので蓄積された叡智は心から心へと受け継がれます。ただし、これらの叡智を次世代が受けるか否かは“心まかせ”で常に不安定要素に満ちています。

 

ただ、ここで言えるのは、

 

    人間(生物世界)は有形の有機体であり、

こころ(心の世界)は無形の有機体ということです。

 

   (有機体:全体が相互に関係を持ち自ら組織化し統一する体系)