権力を物理的に分ける

東京都小平市 小俣 一郎

 

 安倍一強政治の弊害が顕著になっている。以前ならその一つ一つで内閣が総辞職しているような問題がいくつも噴出しているが、安倍内閣はまだ倒れていない。いまのところ倒れる気配もない。あまりにも議員数が違うので、野党は安倍内閣を追い詰めることができず、結局最後は数の力で押し切られてしまっている。

 しかし、このような安倍内閣も第1次内閣の失敗もあり、第2次内閣発足当初は、少なくとも表面上は、謙虚で丁寧な政権運営だったと記憶している。それが大きく変わったのは2014年(平成26年)12月の強行解散による総選挙に大勝利してからだ。

現状では首相の思惑で衆議院を解散して総選挙ができるため、争点なき解散を強行して自民党は再び圧勝し、さらなる4年間の政権期間を獲得した。そして2年の間に3回の国政選挙を立て続けに行うことにより、民主党に立ち直る時間を与えず崩壊させ、対抗する野党がないという、とてつもない強力な政権を作り上げてしまったのである。

 議院内閣制の特徴は、議会の多数派が内閣を形成し,政権の座につくことにより立法と行政との間に協力関係が築かれることにあるが、巨大与党の上に政権ができれば、国会も政府の意のままに動くわけで、それはそれは巨大な権力となる。しかも現在の日本は中央集権の国である。

もちろん、権力が集中した方が効率よく政策が実現する場合はある。しかしそれは賢明なリーダーや時代背景によってもたらされるわずかな事例であり、今回のこれまでにないような不正のオンパレードのように、権力は集中すればするほど腐敗もいっしょにやってきてしまうのである。

 ではどうすればいいのか。

 それを変えるためには、いまこそ道州制に制度をつくり変えて、中央に集まり過ぎた権力を地方にも分散し、権力とその責任者をより鮮明にして、国民の政治を監視する力を高めるしかないのではないか。権力を物理的に分けてしまえば、必然的に一か所に集まる権力は少なくなる。

橋下徹元大阪府知事も5月25日に「森友・加計学園問題のような事案を国会で扱うような、今の日本の統治の仕組みが本質的な問題だ。森友・加計学園を議論するな!ではなく、そんな問題は地方政府でやる!という国の仕組みにすること、すなわち道州制の必要性を今、痛切に感じる。私立小学校の敷地や大学の話は道州の権限と責任にすべき」とツイートしている。

やはり道州制によって、制度的に、物理的に中央に集まり過ぎてしまった権力を分けることが、日本の政治をより良くする抜本的な改革ではないだろうか。

道州制にすれば道州知事を直接選挙で選ぶこともできる。つまり、有権者がリーダーを直接選ぶことができるようにもなるのである。

 権力は大きくなればなるほど監視の目が届かなくなり腐敗してしまう。権力を物理的に分け、それをより国民に近い所に移す方が、より的確に監視ができ、政治をより良くできるのではないか。