四点の感想を

東京都世田谷区 武内 雨村

 

【その一】久しぶりに総会に出席した。現在の会の活動が、ここまで続いているのは小俣代表がボランティアとして雑用の総てをこなしているからである。会の手持ち資金も小俣氏の労力が作り出したものである。愚妻が1600人の会を運営しているので、小俣氏の状況は私には実感として迫ってくる。

小俣氏とは主張は異なるが、会の運営に尽くしていることには深く感謝する。

 

【その二】終戦時、旧制中学一年。戦争当時と戦後の政府のやり方、それに対しての一般の人々の態度、双方を実感してきた。

八紘一宇を大義名分としての大東亜戦争か、白人国家米国が黄禍対策として日本を締め上げた結果としての太平洋戦争か、についての思いがある。

会報に掲載された柳田 康雄氏の「敗戦後70年によせて」は、70年間に渡りマスコミの取り上げない、隠された事実に言及しており、同感した。

柳田氏の指摘する『・・その火の海の中を逃げ回ったのは、兵隊に旦那や息子を取られて残った、女や子供や年寄りだった。・・そこには累々たる焼死体の山があった。これは、いくら「戦争だ」とは言え大量殺戮と云う犯罪だ。戦争を止めなかった日本政府が悪かったのだが、アメリカは更に、広島、長崎に原子爆弾を落とした。これも大量殺戮だ。こんな戦争犯罪を犯したアメリカは戦争に勝ったと云うだけで、戦争犯罪者が日本の政府要人を東京裁判と云う名の法廷で、戦争犯罪者として裁いた。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と云う事か』

私は安倍晋三氏のすべてに反対だが、「安倍70年談話」から「安倍」を外して、語られている内容だけから判断すれば、同感できる。

あの戦争は違う二つの面があった。「対アジア」と「対植民地政策を行う西洋諸国」に分けて考える必要があろう。

安倍談話は対西洋諸国への思いの序論の、その入り口に微かに触れていた。英国はかつての植民地での殺戮に関して反省するがおびはしない。日本と英国は同じではいけないのか!

 

【その三】経済政策について

「クルーグマン マクロ経済学」p45  2009

・・多くの問題について有力な利益団体が存在し、自分たちが聞きたい意見・・を表明している経済学者を探し出して応援して、学者仲間で群を抜く地位と名声を与えて自分たちの立場を有利にしようとする・・。

慶応義塾・権丈善一商学部教授は、こういう現状から「資本主義的民主主義」を主張している。それは有権者に情報を伝達するコストを負担できる者が多数を占めることになる。財力→多数派となれば経済界が権力を持ちやすく政策は経済学バイアスを持つにいたる。経済学は価値判断とは独立であり得ない。

浜田宏一氏は「世界的な理論」という。

伊東光晴教授は「歴史の深淵の中に理論の変化を考えるという学説史の修練をもつていたら理論は現実の一部を切り取ったものであり・・現実の変化とともに・・理論と現実の乖離が生まれる可能性を意識するはずである」

浜田宏一氏はワルラスの法則について日銀前総裁白川方明氏が完全雇用の前提において成り立つと山本幸三議員に応えたことを「間違いです」と。しかし1970年代ワルラスの法則の解釈は有効需要という概念の下、一般的に成立しないとの解釈が生まれた。新しい解釈の一つは今年の5/15日デロングの法則としてインターネットに登場した。

池尾和人氏は早くから新しい解釈に気が付いていたが浜田宏一氏はお粗末な限り。

金融緩和については「紐で引っ張ることはできるが、押すことはできない」

「好況の時は物価上昇、だから不況脱出には物価を上げろ」に至っては、必要条件十分条件の知識のない者の寝言。

経済学以前。トリクルダウンもエコノミスト3/10p74では実証されていない。

 

【その四】健康保険

混合診療を主張するよりは、外国で承認された療法・医薬品は直ちに日本でも保険適用とすべきと求めるべきである。

米国と日本と、所得格差による支出医療費の差額を見れば混合診療は富者の命は救うが貧者の命は切り捨てることになる。