私が裁判に敗れた理由―不正義の訴訟指揮

                         混合診療裁判原告がん患者 清郷 伸人

1.      見えてきた裁判の全容

 私が2006324日東京地裁に提訴した裁判は、2007320日から審理が開始され、20111025日の最高裁判決で終結した。そして第一審では勝訴したものの、控訴審と上告審では敗訴となり、私の請求が退けられる司法の判断が確定した。

 最高裁の判決から2年たって、裁判中の書類などを見たり、経過を顧みたりしているうちに気が付いたことがある。いまさら振り返っても何も変わらないが、これを報告することは日本の司法の闇、裁判官の正体の一角を明らかにすることにつながると考える。そしてそれは、最初は弁護士もなしに難航する訴訟の渦中にあった当事者本人しか見ることのできぬものである。

私の訴訟は、本人は予想もしなかったが、いわゆる混合診療という日本の医療制度の根幹を揺るがすものといわれ、多くの議論と関心を呼んだ。判決確定後も混合診療問題は、たびたび政治テーマの俎上に上っているし、行政当局は最高裁判決に付いた意見書で指摘された保険外併用療養費制度の拡大を小出しに進めている。

ここで医療制度という公的なテーマに係わるこの訴訟がどのような経過をたどって結論に達したかを明らかにすることは無意味ではないと考える。もちろん私は法律の素人である一市民であり、これから記すことは、いうまでもないがまったくの私見である。

 

2. 透明な東京地裁の審理

 2007320日、東京地裁606号法廷において第1回審理が開廷したとき、私は鶴岡稔彦裁判長から請求の趣旨の確認を受けた。裁判長は私に向かい、「あなたの請求は、インターフェロン療法等の保険診療と保険の利かないLAK療法の併用を求めるというものですね。」と聞き、私はその通りですと答えた。そして裁判長は被告席の国に向かって、本件は原告の具体的な地位確認の訴訟なので裁判を始めると述べた。(清郷伸人『患者本位の医療制度を求めて』2012820日、蕗書房、23ページ)

 ここは大切なところで、日本の行政裁判では制度や法律の一般的な違法訴訟や違憲訴訟は認められない。裁判は、行政処分や制度・法律による具体的な被害を当事者が訴えるという私権の救済に限定されるのである。したがって私の裁判の位置づけは、行政によって禁じられている保険の利かないLAK療法と保険の利くインターフェロン療法の併用を求めるという具体的な利益を争う当事者である患者の訴訟となるのである。本人訴訟の哀しさで訴状では不明確だった私の請求の趣旨は次のように整理された。「私が、活性化自己リンパ球移入療法と併用して行われる、本来、健康保険法による保険診療の対象となるインターフェロン療法について、健康保険法に基づく療養の給付を受けることができる権利を有することの確認を求める。」

 そして裁判は公開法廷において4回の審理を経て117日の判決となった。定塚誠裁判長等による東京地裁判決の主文は「原告が活性化自己リンパ球移入療法と併用して行われる、本来保険診療の対象となるインターフェロン療法について、健康保険法に基づく療養の給付を受けることができる権利を有することを確認する。」というものである。

 

3. 不可解な高裁の審理

敗訴した国は、1116日、東京高裁に控訴した。翌年219日東京高裁810号法廷において弁護士を倍増した国と私の控訴審が始まった。その終わりに裁判官から次回は法廷ではなく書記官室に来るようにいわれ、不審に思った私が書記官に訳を尋ねたら、その方が審理に良いとの裁判官の判断でよくあることだとのことであった。(同書81ページ)しかし、それはこれから述べる高裁裁判官による不正義の訴訟指揮の伏線だったのである。

 書記官室という密室で被告の国と原告の私と裁判官1人による審理(弁論準備手続きというが、以降9回目の結審前まで続く)が始まった。2回目の37日、私の方には今回からボランティアの弁護士が付いていた。裁判官は私に評価療養(保険外併用療養のうちの先進医療)と認められた類似の免疫医療を私は受けられるのだから請求の趣旨がこのままでいいか考慮の余地があると述べた。私は今までうまくいっていたLAK治療を続けたいのであって国から治療を指図される必要はないと反論した。裁判官は、審理の最後に私が請求の趣旨をどのように立てるかが問題だと重ねて強調した。(同書89ページ)

 さらに512日の3回目の控訴審で、裁判官は冒頭、私の裁判は公法上の確認訴訟なので、私の具体的な確認の請求内容を変更する必要がある、一審で私が本人訴訟だったこともあり、訴状における請求の趣旨を裁判所の指示でより具体的な内容に変更した経緯があるようだが、それを本控訴審における審理内容にそった的確なものに変えるよう述べ、私の代理人弁護士と確認を交わした。(同書90ページ)7月18日の4回目でも裁判官から請求の趣旨を高裁審理の内容に合わせて変更するよう指示があり、代理人は応諾した。(同書93ページ)

その結果、請求の趣旨は次のように変わった。「私が、本来は「療養の給付」に該当する診療(保険診療。インターフェロン療法)と「療養の給付」に該当しない診療(自由診療。活性化自己リンパ球移入療法の一種であるLAK療法)を併用する診療(いわゆる混合診療)を受けることについて、本来法が定める「療養の給付」に該当する診療(インターフェロン療法)については、法に基づく「療養の給付」を受けることができる権利を有することの確認を求める。」明らかに一審の請求の趣旨が抽象化されている。

 

4.      不正義の訴訟指揮

 今から考えると、ここが私の訴訟のターニング・ポイントだった。この時から私の裁判は、がん患者の私がインターフェロン療法とLAK療法を併用しても健康保険の給付を受けられるかという個別具体的な私権の救済から、難病を患った私が保険診療と(評価療養以外の)保険外診療を併用(いわゆる混合診療)しても健康保険の給付を受けられるかという抽象的で一般的な請求の訴訟に変質した。制度や法律の一般的な違法、違憲判断を請求することは認められず、そこから演繹して私の請求は退けられるという論理である。逆転判決が不自然でないように巧みに土俵を狭くするという操作にほかならない。私も代理人弁護士も、その裁判官の隠された意図を見抜けなかった。請求の趣旨の変更が、この裁判の構図をまったく塗り替えてしまうということが理解できなかった。それどころか弁護士は混合診療禁止か解禁か、どちらが正しいのかという根本命題があると述べ、私も自分だけでなくすべての患者の普遍的な問題だという意識に傾いていった。正に裁判官の誘導にはまっていったのである。

 なぜ裁判官は、私の高裁訴訟における請求の趣旨をどうしても変えさせねばならなかったのか。それはなんとしても国を勝たせなければならなかったからである。行政裁判で国を負けさせるわけにはいかないという高裁の遺伝子もあるだろうし、この裁判で国が負けたら医療行政が大変なことになるという心理も働いたかもしれない。いずれにしろ個別具体的な請求に対する一審の判決文は完璧で、請求の趣旨を変えさせる以外に国を勝たせる方法はないと思ったのだろう。そのため長大な二審判決文だが、結論を覆したのだから普通は触れる一審判決について何もいっていない。言及すれば、請求の趣旨を変えた自らの論理が崩れるからであろう。

書記官室という密室での審理が伏線だったという意味は、このような訴訟指揮は公開法廷ではしにくいからである。(医薬経済誌20081115日号は、野球でいえば1回表裏だけ行い、28回は見せず、決着のついた9回から公開するようなものと評している)密室ではつねに杉山正巳裁判官一人だったが、このような訴訟指揮は大谷禎男裁判長、相澤哲裁判官との合議によって行われたに違いない。一審では法のみを見て正義の判断を示したが、二審では行政に顧慮し、不正義がまかり通った。

病を抱えながら少しでも可能性のある治療を求める原告からすれば、この裁判所の不正義な訴訟指揮は許しがたい。国民を欺くものというほかない。

 

5. 混合診療規制は本質的に違憲

 不正義を通してまでこの裁判は国に勝たせなければならないと決意した高裁だが、混合診療禁止政策が本当に正しいと思うならば、国は完璧な立法を整備すればよいのである。一審は、私の場合の混合診療を禁ずる法的根拠はないと判決したのであって、一般的な混合診療の是非には触れていないのである。しかし、法律家の間では保険診療と自由診療の併用禁止を明文化した法律は、違憲の疑いで内閣法制局に差し止められるといわれている。混合診療禁止のように国民の権利を一律に禁止する規定にはその根拠となる立法事実(立法が要請される事実)が不可欠だが、混合診療規制にはそれがないか、あっても限定的で一律禁止規制と不均衡であり、立法事実と禁止規制との間の比例原則に反するという意味で違憲なのだといわれる。すなわち混合診療規制は本質的に違憲ということである。したがって、この規制は明文化されないことで合憲を装い、承認された混合診療を限定列挙した保険外併用療養費規定(健保法86条)の反対解釈を根拠に合法とするほかない。これが請求の趣旨を変更させて国を勝訴に導いた二審判決の本質である。

 最後に、私の代理人弁護士は高裁裁判官の不正義の訴訟指揮の意図を見抜けなかったと述べたが、この困難で不利な訴訟をボランティアで引き受けてくれた弁護士を非難する気はまったくない。この長い裁判を一人で闘うことを考えれば感謝あるのみである。ただ正義を定めるべき司法とは程遠い腐敗した上級裁判所の詭計の結果とはいえ、難病や重病の患者に希望の灯を届けられなかったことは痛恨の極みである。

     (医療ガバナンス学会メールマガジン「MRIC2013711日より転載)