歴史に学ぶ財政破綻回避への道

東京都文京区 松井 孝司

ハイエクの予言

ノーベル経済学賞を受賞したハイエクは晩年「工場の国有化とか、農地の集団経営化などはこれからなくなるであろう。そして国家がこれからなしうる国民の自由に対する攻撃は税金の形になるであろう。その税金は福祉とか社会保障などの名目で高くなる」と予言したが、日本に於ける民自公3党合意の「社会保障と税の一体改革」はその予言の通りである。

個人の自由な活動が抑制される国家では、経済が低迷し国民が緩やかに貧しくなるのも先見力のあるハイエクが指摘した通りだ。

ハイエクは国家社会主義のヒトラーから逃れるためオーストリアからイギリスに渡ったが、民主主義国家のイギリスもヒトラーと同じ道を歩んでいることに気が付き米国に逃れ、今日新自由主義の名で知られるシカゴ大学経済学派の元祖になった。

基幹産業を国有化したイギリスは一時期国家が「ゆりかごから墓場まで」面倒をみる社会主義国家となったがイギリス病を発病して経済の長期低迷に苦しんだ。サッチャーはハイエクに学んだ新自由主義により国有企業を民営化し、政府による規制を緩和して公的事業にPFIPrivate Finance Initiative)など民間資金を活用することにより国家の財政赤字を克服することに成功している。

しかし、日本では競争を重視するハイエクの自由主義は正しく理解されず、競争のない非効率な政府事業は肥大化するばかりで日本経済は長期低迷がつづき政府の累積債務は拡大の一途である。

日本政府の国債と借入金を合計した国の借金は2012年度末で1085兆円に達する見込みであるという。

国会では消費税10%への増税案が討議され、更に所得税、相続税の増税も予定されている。資金循環の観点からみれば増税や国債(=未来の税金)の発行は政府が民間の資金を吸い上げる民間窮乏策である。経済の低迷で税収を更に減らす可能性もあり、増税で財政が健全化する保障はない。

肥大化する政府事業を維持するための大増税は個人の自由を奪う大きな政府、社会主義国家への道であり、官僚が支配する大きな政府が最後に行き着く先が国家の崩壊であることは20世紀後半の歴史が証明している。大きな政府に寄生するシロアリが税金を喰い尽くし国家を崩壊させるのだ。

急速な少子高齢化が進行するなかでGDP(国内総生産)の飛躍的増大による税の自然増収がなければ日本政府の巨額債務の返済は不可能であることは誰の目にも明らかであり、国債の金利が上昇すれば財政破綻が顕在化する。

歴史に学べば、増税ができず債務も返済されなかった事例は多い。

 

大隈重信の金融政策

日本書記には仁徳天皇が3年間租税を免除した記録があるし、鎌倉幕府や戦国大名は日本の各地で徳政令を出している。明治政府は大名貸しを帳消しにし、財源不足を補うため1868年(明治元年)に由利公正の創案に基づいて太政官札を発行したが、不換紙幣の太政官札には信用に欠けるところがあった。

小松帯刀の推薦で外交兼会計担当となった大隈重信は通貨の信用を取り戻すため正貨を鋳造する造幣局の完成を急ぎ1871年(明治4年)新貨条例を制定して貨幣の単位を「円」に変え、1873明治6年)の地租改正で租税を金納に改め税制基盤を確立した。

大隈は積極財政による殖産興業の推進を行うことを表明し、渋沢栄一の協力を得て全国に100以上の貨幣発行権をもつ民間出資の国立銀行が設立され、明治政府は通貨の増発により短期間に日本の近代化を達成し、PF・ドラッカーが世界史の中でも稀な成功例と評価する大発展を成し遂げた。

ハイエクが主張する貨幣発行の自由化を日本は明治初期に実施していたのだ!

しかし、1877年(明治10年)に勃発した西南戦争の巨額の戦費を不換紙幣の増発で賄いインフレーションを引き起こしたことは失敗であった。殖産興業を目的とする通貨の増発は悪くなかったが、戦費を賄う通貨の増発が良くなかった。

通貨を増発すれば貨幣価値を減少させるのでインフレは避けられないが、付加価値を生まない貨幣の流通を規制しインフレターゲットを設けて貨幣発行の量を制限すればハイパーインフレにはならない。西南戦争時の貨幣の流通量は1877年の11900万円が1878年に16500万円に激増したが、当時ヘッジファンドによる投機的取引は無く物価が10100倍に高騰するようなインフレにはならなかった。

重要なことは通貨発行に見合う付加価値の創造であり、通貨を増発しても農林業、工業などの物づくり事業を興し、投機などの付加価値を生まない資金の流れを断てば悪性のインフレにはならないことを教えている。

21世紀の貨幣の媒体は電子信号の記録媒体が主流になり、電子信号となった貨幣の流通を支えるのは信用だけになるだろう。

信用を失った政府が財政を破綻させるのであり、大きな政府志向で財政規律のない政府が貨幣発行の母体となればインフレの抑制は難しいが、貨幣発行権を持つ銀行が国内外の信用できる債券または優良資産を買い上げる方策で通貨を増発すれば際限なく信用が膨張することはなくインフレの制御は可能である。

円高是正、デフレ経済の解消にも大きく寄与し金利の上昇を抑制する効果のある通貨の増発こそ現代版「徳政令」なのだ。

 

中国の大変身

注目すべきは崩壊寸前の社会主義国家であった中国が市場経済の競争原理を取り入れ経済成長を重視する政策に切り替えてからの動向である。

通貨発行権を持つ中国人民銀行のバランスシートはGDPに対する比率が70%に拡大し、中国ファンドと推測される「SSBT OD05オムニバス」が日本の多くの一部上場企業の大株主として登場する一方で中国政府は新興国や新しいインフラへの投資も積極的に増やしており中国人民元の増発が中国の経済発展と元高阻止に大きく貢献している。

経済発展にとって欠かせないのが安価なエネルギーである。ドイツで太陽光発電システムを販売するQセルズ社が破綻したのは中国の安い電気料金で競争するサンテックパワー社に太刀打ちできなくなったからだ。

最近、40年も前に実証済みで爆発の危険がなく安全性が高いトリウム溶融塩炉による原子力発電が見直され中国では2015年までに実証炉を完成させるようだ。トリウムはレアアースの副産物として豊富に存在する上に核廃棄物として処理に困るプルトニウムも中性子源として併用できるので石炭並みの低コストでの発電が期待され、米国マイクロソフト社のビル・ゲイツも小型分散発電に期待して投資に応じている。

日本では急成長を成し遂げた中国経済の崩壊を予測する向きが多いが、未曾有の東日本大震災に遭遇して視野狭窄に陥り、歴史に学ばず知的レベルが低下傾向にある日本こそ衰退への瀬戸際に立っていることを自覚すべきだ。

個人の自立、自助の重要性を説いた福沢諭吉の「学問のすすめ」やサミュエル・スマイルズの「自助論(西国立志編)」が多くの日本人に読まれたことなど遠い過去の話になってしまったが、明治初期には日本国民の110が「学問のすすめ」を読み、鎖国攘夷論者は果断な開国主義者になった。

海外との交易こそ付加価値の源泉であり、中国は日本が開国により経済的大発展を成し遂げた成功の歴史と、円高を阻止できず農林業の衰退と産業の空洞化を招いた失敗の歴史に学んでいる可能性が高い。日本は円高に対応するため物づくり産業を中国に移転させ経済発展の成果を中国に譲ったのである。

日本は社会主義国家、中国の大変身の歴史に学び円高を是正できる規模の通貨の大増発を行って円安に誘導し、グローバル化による経済成長戦略を確立して緩やかなインフレを許容しながら付加価値の大きい新技術、新規事業への投資を日本国内で拡大できれば、名目GDPの増大で国民所得と税収が増え財政破綻は回避できるだろう。