八ッ場ダム訴訟意見陳述

「八ッ場ダムは税金を浪費して国土/環境/地域を破壊する悪しき公共事業の典型」

・・・八ッ場ダム訴訟の原告として意見陳述しました

埼玉県所沢市 河登 一郎

平成1611月に提訴してから5年半にわたる八ッ場ダム差し止め訴訟の「結審(最終口頭弁論)」が331日にさいたま地裁で開かれました。私は原告団の一人として「意見陳述」をする機会を与えられました。以下、その全文(一部要約)を投稿します。

22・5・13

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さいたま地方裁判所御中

意見陳述書

平成22331

陳述人:河登一郎

住所:埼玉県所沢市中新井469

私は平成16年から本訴訟に原告団の一人として参加しています。

平成17年に当法廷で行った陳述で私は「戦後の日本では、経済的繁栄の影で政官業の構造的癒着は深まったが、司法の世界に残っている<不正を憎む正義感>に期待する」と申し上げました。

その後5年半、私は本訴訟に関するほとんどの口頭弁論や多くの集会に参加しました。その中で実感したことを率直に申し上げて「意見陳述」と致します。

 

1. 本件に関する事実認定と関連する諸法令についての理解が非常に深まりました

当初、原告側の主張は、訴状と数件の準備書面で補足すれば論点はほぼ尽くされると思っていましたが、その後多くの重要な報告、資料、研究成果および証人尋問等を通じて色々な事実が確認され全体としての理解が深まりました。

例えば、

(1)埼玉県の水需給計画が見直され、下方修正されました。

(2)暫定水利権が、事実上安定水利権と変わらない実態が明らかになりました。

(3)ダムサイト及び周辺の岩盤の脆弱さが専門学者や研究者によって具体的に指摘されました。国交省は「対策は万全」と説明していましたが、工事現場での崩落事故など地質の悪さが深刻な問題になっています。埼玉県では滝沢ダムや二瀬ダム周辺の地滑りや亀裂が現実に発生しており、全国的にも同様の実例が多発しています。

(4)代替地の地滑りの危険性とその根拠が具体的な資料に基づいて指摘されました。奈良県の大滝ダムではダムサイト近くの村落全体が転居を余儀なくされ、国家賠償責任が追及されています。(奈良地裁は昨日の判決で「国に責任あり」と明快に指摘しました。賠償責任は「別途補償されている」として棄却)。

(5) 本ダム必要論の最大の根拠である八斗島での基本高水流量22,000トンの前提となった利根川上流部での河道整備計画が存在しないことが明らかになりました。22,000トンを前提とした治水目的は根拠を失ったことになります。

(6)国交省の主張の根拠になっている「費用対効果(B/C)」の計算根拠には素人でも指摘できるようなありえない前提が何ヶ所も使用されています。一例を挙げれば、洪水による破堤が上中下流すべてで同時に発生するなど物理的にありえない前提です。

(7)森林土壌の「飽和雨量」を同条件の他地域の半分以下に設定、雨水の一次流失率を禿山斜面より大きい前提で計算するなど<ダムを作る>ために虚偽の前提が量産されています。

(8)官僚の天下り企業の高値随意契約受注の実態が数多く判明しました。

(9)その他多くの事実が次々と明らかにされ、今さらながら政官業を含む利権集団のな

りふり構わぬ利権追求体質が明らかになりました。

10)更に、政権交替に伴い本訴訟にとって極めて重要な新しい事実が判明しつつあります。審理を尽くして頂きたいと考えます。

 

2. 上述の如く本件に関する議論が非常に深まった背景として以下の諸点があると考えます。

(1)当法廷の訴訟指揮が公平だったこと;即ち、

@    双方の主張が充分に展開されました。

A    主張を裏づける資料の準備や証人尋問にもそれなりの時間をかけられ、2度の調査嘱託を通じて、問題点が浮き彫りにされました。

B    即ち、通常の情報公開手続きでは入手困難な資料の入手が関東地方整備局への調査嘱託採用で明らかにされました。一つは、カスリーン並の台風再来で八斗島での流量が22,000トンになる計算根拠、もう一つは利水安全度1/10では利根川水系ダムの供給量が21%も減るという計算根拠です。

このように、当法廷とは対照的な東京地裁での「最高裁事務総局」型訴訟指揮を含む他都県での訴訟手続きと比較して明らかに公平だったと評価しています。

(2)原告団、弁護団、学者、研究者及び有形無形の多数支援者の<生き様>が極めて重要な役割を果たしていることを強調したいと思います:

@    原告及び多くの支援者は、年令、性別、職業など千差万別です。政治上の信念や宗教的信条もいろいろです。共有する動機はただひとつ:政官業による巨額の税金ムダ遣いと国土破壊・環境破壊・地域破壊は許さない。将来の世代のためにより良い日本を作りたいという一点です。そのために限られた時間とエネルギーと経費を使って真剣に努力しているのです。

A    こういう方々との真面目な討議に参加していつも連想するコトバがあります。

Noblesse Obligeです。ご存知のように、このコトバはもともとヨーロッパの貴族が、普段は国民の税金で優雅な生活と身分を保障されているけれど、社会的要請が生ずれば率先して義務を果たす、場合によっては命さえ惜しまないという名誉ある生き様です。現代の日本には貴族階級は存在しませんが(「高級官僚」がそれに近い)、この運動と真剣に取り組んでいる方々の生き様こそ、真の意味での<Noblesse Oblige>だと思っています。精神的に高貴な人々の社会に対する責任感です。これこそが民主主義の原点だと考えます。私自身、その末席に参加していることを誇りに思っています。

(小賢しげに横文字を使うのは不本意ですが、適切な日本語がないためでご容赦下さい。)

(3)一方、被告側の動きがすべて不純だと考えているわけではありません。県民の利水・治水上の必要をそれなりに心配しておられる動機を無視するつもりはありませんし、土建業者にお金をばら撒くことが地域経済を潤す一面も全く無視はできないでしょう。しかし、建設継続を声高に主張されている都県知事や議会の「有力者」或いは利権業者の派手な言動は、以下の点でほぼ共通しているように思います。

@    国交省や関東地方整備局の官僚が作成した説明だけを一方的に鵜呑みにして、科学的根拠に基づいた反論を真摯に検討している対応は見受けられません。

A    現地の「有力者」を含めて利権の受益者が非常に多いことが際立って特徴的です。巨額の補償金で<八ッ場御殿>と呼ばれる豪邸の主になった有力者が「生活のためにダム建設を継続して下さい」と涙ながらに訴える画像がTVで繰り返し放映されましたが、実態を知っている視線から見ると滑稽です。

B    それらを裏付ける事実として、平成18~20年の3年間だけでも本事業受注業者から群馬県選出与党(当時の)議員を中心に5,000万円近い政治献金がなされており、それら献金業者の受注契約264件のうち180件もが落札価格95%を超えています。天下り官僚を複数受け入れている大手企業の落札比率は実に99%を超えています。その結果、政府は実態調査を行うことになり、市民による公正取引委員会/会計検査院への問題提起/情報提供や住民監査請求も検討されています。数年前、現地工事事務所の責任者が収賄容疑で群馬県警に逮捕され有罪判決を受けました。

 

以上を総合して、地方自治法;地方財政法の大原則である「最小の経費で最大の効果」を埼玉県行政が本気で追求している実態が見えないことは県民として残念です。

 

(なお、)被告代理人(及び一部職員)が、本訴訟に関して誠意を持って臨んでこられたことに対して敬意を表したいと思います。これは他都県における被告代理人の不誠実な対応と対照的です。もちろん、被告の主張がもともと根拠薄弱なので代理人が非常に苦戦しておられることには同情を禁じえませんが、敵ながら天晴れです。

 

3. 当然のことながら、「動機の純粋さ」が法律面での正当性を保証するものではなく、動機が不純だから違法と申し上げるつもりは全くありません。本件のように論点が非常に多岐にわたるケースでは、恐らく色々な立論が可能だと思います。(但し、東京地裁判決のごとく、基本高水22,000トンの前提となる利根川上流の「河道整備計画」の不存在が証明されても、「河道整備される可能性が<皆無ではない>から被告の主張は妥当」という思い上がった判決が法治国家で成立することが信じられません。「最高裁事務総局」(注)という司法行政の歪んだ権力構造の下でのみ成立する特異現象だと考えます。)

私は、本訴訟ほど、複数ありうる実定法の解釈において<法の窮極にあるもの>が、

形式的な法解釈を超えた<自然法という真善美を愛する価値観であり正義感>であ

るという真理の持つ深い意味を痛切に感ずることはありません。

 

裁判長、充実した審理を尽くされた経過を大切にして頂きたいと思います。新たに判明した事実に関してはさらに実態解明に努められ、重要な論点について充分な検討結果を示された上で、後年の高い評価に結びつく判決を期待して已みません。       

 以上 

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(注)「最高裁事務総局」:最高裁にある組織。事務総長以下、審議官、729課、管理官を擁する司法行政の「奥の院」。最高裁内の業務以外に全国の高裁・地裁などすべての裁判所の組織、人事、予算を管理する。法解釈の指針(事務総局見解)を出すこともある。八ッ場ダム東京裁判では「事務総局」のやり手課長が裁判長になって公平な審理抜きで行政の主張を鵜呑みにした「原告敗訴」判決を出した後「事務総局」に栄転した。その後出された群馬、茨城、千葉(いずれも地裁)での判決はほぼ東京地裁の判決のコピーに近いものになった。このように日本の裁判は隠れた管理下にあり、真に民主的で独立した裁判が歪められることが多い。