止まらないグローバリゼーションへの処方箋

東京都渋谷区 岡部 俊雄


 グローバリゼーションの流れが止まらない。

 科学技術の進歩、特に交通・通信技術の進歩によって我々が感覚的に認識する地球はどんどん小さくなっている。地球のどこにでも簡単に飛んでいけるし、地球上で起こっていることは瞬時に分かる。経済活動も地球規模で行われている。

 かつて、外界を知らずに、狭い村社会の中で生活していた時代、九死に一生を得ながら大陸に渡り、文化を吸収した時代、外国文化がわずらわしくて鎖国をした時代、などを考えると、まさに隔世の感がある。

 このグローバリゼーションの流れの源泉に、止まることのない科学技術の進歩と、止まることなく利益を追求する自由経済体制があり、それによって多くの人が恩恵を受けたという認識があるかぎり、この流れは止まらないし、止められない。

 このグローバリゼーションの流れが無軌道にならないように、また、自由に安心して国境を越えて利益を享受できるようにしようというのがWTO(世界貿易機関)の役割である。言い換えればグローバリゼーションの流れを国際的に制度化しようというのがWTOなのである。

 しかし、グローバリゼーションにはそれによる光の部分の他に、影の部分があることを忘れてはならない。そして、WTOにはその影の部分への対応が決定的に欠落しているのである。

 

 2008年7月29日ジュネーブで開かれていたWTOドーハラウンドが決裂した。直接の理由はセーフガードの発動条件に妥協点が見つからなかったということだが、これからのWTOの試練に満ちた時代の始まりだという気がする。

 今日までのWTOは、先進国、特にアメリカによって先導されてきた。もちろん先進国は地球規模の自由にできる市場が欲しいからである。一方、開発途上国は自分達にも利益があると説得され、また、そのように思い込み、その大きな流れに妥協してきた。しかし、最近、結果はどうも思惑と違ってきていることに気付き始めた。特に、生い立ちの弱いアフリカ諸国には先進国、多国籍企業が入り乱れ、第二次植民地時代―経済植民地時代の様相を呈し、世界一の貧困大陸はますます先進国との格差を広げ、貧困から来る感染症なども拡大の一途をたどっている。

 

 我々日本国民は、日本という国に生まれ、あるいは日本国籍を持っているということで最低限の生活レベルが保障されている。ナショナルミニマムというものである。

 このナショナルミニマムはそれぞれの国の考え方や、国力・経済力によって違いがある。

 全ての国が一定以上の国力・経済力を持っていれば、それぞれの国の考え方に任せておけばよい。しかし、国際間でこれ程大きな格差があり、アフリカのような貧困にあえぐ国があるとすれば、各国に任せておけばよいというものではない。

 WTOが各国間に横たわる国境の垣根を低くし、あるいは、なくしてしまい、世界を一つにしてしまおうというものであれば、それと並行してこの地球上に人として生を受けた者には全て、一定レベル以上の生活の保障が受けられるという、グローバルミニマムの構築が必須である。それが欠落している現在のWTOの動きは明らかに一方的で強者の論理であり、早晩限界がくるのは自明である。

 グローバリゼーションは元々強者に都合の良いものであり、それを制度化しようとするWTOには、攻めるのはよいが、守るのはいけないとか、剣は持ってもよいが、盾は持ってはいけないという思想が根底にある。

 そうであれば、攻めることはもちろん、守ることもできない国・国民に対し、予めグローバルミニマムを用意しておくことはあまりにも当然なことではなかろうか。WTOを進めようとする先進国が率先して構築していくのが義務ではなかろうか。

 

 今回のWTOドーハラウンドの決裂はそういう意味で、まことに健全な力が働いたというべきだろう。

 グローバリゼーションの影の部分に危機感を持ち、グローバリゼーションそのものに反対する動きがある。いわゆる保護主義・鎖国主義の動きである。

 しかし、この動きは時代の大きな流れに逆行するものであり、前進的でない。

 グローバリゼーションが必然的な流れだとすれば、当面は、各国間に相応の高さの垣根が存在することを是認しつつ、早急にWTOのアジェンダの中で決定的に欠落しているグローバルミニマムの制度を構築しなければならない。

 その制度の構築に当たって、是非とも日本が、強大な先進国と弱小な開発途上国の間に立って、リーダーシップを発揮したいものである。世界でもそれができる稀有な国ではなかろうか。

 そのために、我が国がどうしてもやっておかなければならないことがある。それは、WTOの方向に沿った我が国の新しい農業政策の確立である。現在我が国が進めている農業の大規模化政策のみでは、目標の達成が何時になるか分からないし、そもそも日本の地形を見てもあまり効果が期待できない。一刻も早く民主党が主張している戸別所得補償制度を確立し、工業製品と同様に農業製品についても国際的に弾力的対応が可能な状態にし、堂々とWTOの場で、強弱の国々の間に立ってリーダーシップを発揮したいものである。

 格差が拡大しても問題はないという思想は、日本の歴史の中に見当たらない。多分日本人のDNAなのだろう。皆と一緒に協力しなければやっていけないという農耕民族のDNA、質実剛健・質素倹約の武士のDNA、民のかまどに関心を持つ帝のDNA等々、貧しいものを踏みつけにして自己利益の追求に走るという思想は日本人のDNAにはないようだ。こういう問題にこそ日本人のDNAを生かすときである。

 

 グローバルミニマムを構築するにはそのための財源が必要である。いろいろな方法があると思うが、かねてから提唱されているトービン税(為替取引税)や、最近提唱されてきた国際連帯税はその有効な手段の一つである。問題点もあるようだが、まことに理にかなった、また、目的にかなった税であるが、問題はあの新自由主義を標榜するアメリカが導入に賛成するかどうかである。日本は何時ものようにアメリカの顔色を伺うのではなく、トービン税や国際連帯税の導入に関してはアメリカを説得するだけの強固な意志を持たなければならない。

 

 WTOを前進させ、新しいグローバルスタンダードを構築し、より格差の少ない、豊かで平和な世界を作り上げるために欠かせない要件である。