法的根拠は示されたか─裁判は結審し、117日判決

〈裁判ドキュメント─4〉

神奈川県藤沢市 清郷 伸人


2007829日午前11時半東京地裁606号法廷で第四回弁論が開かれた。裁判官が3名、原告側が1名、被告側が3名出席した。74日第三回弁論で被告は、準備書面(2)が混合診療禁止の法的根拠を十分示していないという定塚裁判長の指摘に対し、書き直すことを申し出ていた。

 冒頭で裁判長は原告、被告双方から提出された準備書面と証拠の確認を行った。821日に提出された被告の829日付け準備書面(3)と証拠、原告の79日付け準備書面(2)と829日付け準備書面(3)と証拠である。原告の準備書面(3)は、23日に入手した被告の準備書面(3)に対する反論で、28日に地裁にファックスして裁判官に事前に読んでもらったものである。証拠は、06811日の日本経済新聞記事「混合診療、進まぬ技術認定」と07319日の日本医師会での「治験活性化シンポジウム」における厚労省の講演内容である。前者は技術認定や治験が体制の不備で進んでいないこと、後者は世界標準の未承認薬の割合が日本は群を抜いて多い(米国は1%、欧州諸国で6%、韓国や中国でも2030%だが日本は39%)というものである。これらの証拠は、平成18年の医療制度改革後も先進医療技術や未承認薬の承認がほとんど進んでいないという私の準備書面(3)の内容を補強するものである。

次に被告の準備書面(3)の内容について裁判長が被告に質した。被告が挙げたポイントは、医療は病気に対する一連の浸襲行為であり、保険診療と保険外診療を併用することは第三の医療形態となり、これには保険外医療が含まれるから全体が始めから保険給付対象外となるということである。この今回持ち出された理屈について裁判長は風邪の例など出して確認していたが、健康保険法第63条に対する被告の法解釈と認め、結審を宣言した。

私は即座にまだ聞きたいことがあるといって、質問を許された。私は被告側に対し私の準備書面(2)で回答を求めた疑問をぶつけた。混合診療とされる保険外診療や自由診療を届け出もないのにどうやって把握するのかと聞いたら、裁判長がそれは制度上の概念であって実体は問わないとされていると答え、被告はレセプトでごくたまに見つかることがあると答えた。次に一連の医療の流れで例えば3年後にがんの保険外治療や未承認抗がん剤を受けたら最初から混合診療となり、保険は一切給付されないのか、時効のようなものはないのかと聞いたら、時効はなく、そのような運用になると答えた。さらに健康保険は医療の現物給付だが、混合診療となって給付を返す時はどうするのか、飲んだ薬を返すのかと聞いたら、返還は患者でなく病院が現金で行うと答えた。

この時、裁判長から質問打ち切りが切り出された。裁判は原告の書面を読んで、裁判所が必要な回答や確認を取っており、それに基づいて判断を示すから詳細な質問はこれくらいにしたいということである。確かに傍聴席は次の裁判の人たちで溢れ、当日の裁判予定も過密である。これでは原告としては十分審理を尽くせない不満が残る。

また私は裁判長に、法的根拠の審理の次に法解釈の合理性の審理を行うのではないのかと聞いたところ、この裁判は清郷さんの混合診療の地位確認訴訟であるから、健康保険法の混合診療に対する法的審理に尽きるとのことで、私は裁判とはそんなものかと引き下がった。最後に裁判長は、判決を117日に示すといって閉廷した。

今回のドキュメントリポートは以上であるが、裁判から1日たった今、私はこれで判決の行方はわからなくなったと考えている。被告側が3回目の書面で示した法解釈に裁判長が納得したのではないかと危惧する。裁判長は被告の準備書面(3)で結審するつもりだったと思う。私が5日間で反論の書面を出すことは想定していなかったと思う。私が1カ月かけて反論の書面を出すといったら結審は延びたか、それはわからない。私には弁護士もおらず、結審の延期を要求する術もなく、結審後は一切反論も書面も出せないと思った。ある意味で裁判のプロが原告側にいないということは、裁判の進行も主導権も裁判長が握るということになる。

しかし私は別の事件の弁護士から結審後も書面は出せるが、裁判の公式文書にはならない、しかし裁判長はそれを読むことは読むと聞いた。私は最後の再反論書面に賭ける。初めて専門家のアドバイスがほしいと思う。今まで一人で闘ってきたことに悔いはない。こんな問題はだれも知らないし、患者もみんないろいろな事情をかかえていて、裁判どころではないのだ。それに僕は闘いを組織化する能力はない。とにかく最後の渾身の一撃を加えるつもりである。人事を尽くして天命を待つの心境である。


2007/8/30