生活者主権の会生活者通信2006年10月号/03頁



育てよう!民主主義

東京都豊島区 吉井 正信

 広辞苑によれば、民主主義とは【語源はギリシア
語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)と
を結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権
力を自ら行使する立場を言う。基本的人権・自由権・
平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主
たる属性であり、また、その実現が要請される】と
ある。
 日本国憲法は前文で主権は国民に存することを宣
言しているし、本文で基本的人権などを保障してい
るので、民主主義国家であることには間違いはない
ようである。ではこの日本で民主主義の何を育てる
のか。私は国民が所有している権力を自ら行使する
力を育てることだと思う。
 なぜ私が日本国民は自らの権力を行使していない
かと思う理由を2,3点取り上げてみたいと思う。
 第一は国民にとって最大の権力である選挙権を行
使しているのは、総選挙で50〜65%、参議院選
挙で40〜55%、統一地方選挙にいたっては40
%を割ることもある。先日、6月11日に行われた
中野区長選挙はたったの27.73%のみで、再選された
田中大輔さんの得票率は当日有権者数253,204人中の
うちの36,554票でわずかに14.22%であった。たった
14%の有権者に信任されたこの選挙は果たして有効
だろうか。しかし日本の現状ではこのような地方の
選挙で何回再選挙を実施しても投票率が有権者数の
50%を越えることはないであろう。最大の権力、最
大の武器である選挙権を自ら放棄している国民は民
主主義を語れるのだろうか。
 第二に民主主義では法治主義の実現が要請される
とあるが、日本では戦後60年経過しても戦前の法律
がまかり通っている。それを改正しようとしない自
民党政権をいつまでも支持し続けている国民は義務
の放棄ではないだろうか。日本は近代国家のすべて
の国が行っているように、間接民主主義を採ってい
る以上、選挙で国の体制を変えるしか方法はない。
政権交代を繰り返すことにより、より理想的な民主
主義国家を樹立するのが国民の義務だと思う。それ
を怠っているために、さまざまな矛盾がおきている。
たとえば6月7日東京地裁で判決があったドミニカ
移民訴訟では、国の法的義務違反を認めながら、請
求権が消滅する除斥期間(20年)が過ぎたとして、請
求を棄却した。でもこの法律は正しいのだろうか。
もし犯罪者が海外逃亡した場合、逃亡期間中の年月
は時効の対象外となっているのに、ドミニカ移民の
皆さんは国の政策により、海外棄民にされたのだか
ら、当然その間は除斥期間の対象外ではないだろう
か。政府、官僚そして国民すべてが無責任すぎるの
ではないだろうか。7月14日の新聞報道によれば、
原告団が政府の救済策を受け入れ控訴を取り下げる
方針と。これを機会に戦前の法律を見直し、必要な
法律は現代文に書き直して時代にあった文章と内容
にすべきだと思う。
 第三に税金の使い道の監視も人民の権力の行使の
一つだと思うが、それに対する日本国民の関心は薄
い。民主主義を支えていくためには、国家予算が必
要で納税は国民の義務であると同時にその分配の監
視の義務を負う。今の日本の所得税の徴収システム
では、ほとんどの人が源泉徴収により納税している
ため、税金に対する意識が薄くその使い道にも関心
が薄いのが実情だと思う。そこで政府の愚民政策の
一環としての源泉徴収のかわりに自ら確定申告しそ
の納税金額の何割かは自らその使い道を指定できる
方式にしたらどうだろうか。例えば福祉に20%、
防衛に10%のように。また寄付などの控除・非課税
も拡大すべきだと思う。現状では国民は税金を徴収
されるだけで、その納税により得られるべき権力を
行使していないではないだろうか。
 皆さん今こそ真の民主主義を育てて、本当の意味
の主権在民国家を樹立しようではありませんか。
《ながつま昭のサポーター通信VOL.13 より転載》

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