生活者主権の会生活者通信2005年09月号/13頁..........作成:2005年09月01日/杉原健児

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靖国参拝問題に関して

東京都文京区 岡戸知裕

 前号の大谷氏の投稿を興味深く拝読しました。 
 国家による謝罪行為について実例をあげれば、エ
リツィン大統領来日の際のシベリア抑留に関する謝
罪発言やナチスドイツのユダヤ人虐殺に関してドイ
ツの首相がアウシュビッツの慰霊祭に参加して謝罪
行為を行っている。また1972年の日中共同声明
にも“過去において日本国が戦争を通じて中国国民
に重大な損害を与えたことにつての責任を痛感し深
く反省する”という共同声明を発している。   
 このときに中国政府は日本に対する賠償請求を放
棄している。ドイツではポーランドと共同で共通の
歴史を見出す作業が行われている例証もあるように、
日本も中国との間で共通の歴史認識を持つべく共同
研究を行うべき時が来ているように思う。つまり歴
史の事実とは何なのかそれを究明する時がきている。
そしてそれは日本の太平洋戦争についての清算に繋
がってゆくと思う。              
 蒋介石政権は当時侮日政策をとっており、日本人
を見たらツバをはきかけろという政策で日本に対す
る挑発行為を盛んに行っていた。盧溝橋事件の直前
に通州事件があり日本人が多数虐殺され、そのよう
な背景を基に日支事変が起こる。上海においても海
軍陸戦隊の将校が暗殺され、上海事変に発展してい
る。                     
 蒋介石の戦争戦略は日本軍を中国奥地に引き込み
疲弊させ最終的に米国と戦わせて日本を敗戦に追い
込み、それにより日本軍を中国から駆逐しようとす
る戦略であった。夫人の宋美齢による米国での反日
キャンペーンは大成功し米国の世論が中国に大きく
傾き、まさに壮大な戦争戦略といえる、むしろ日中
戦争の勝者は中国ではないのかと言いたい?   
 アジア全体で戦争犠牲者は1500万人ともいわ
れている。例えばベトナムでは日本軍による米の挑
発で 100万人の餓死者がでたとも言われている。 
(数字については誇張があると想像される)   
 広島、長崎の原爆の犠牲者の遺族の怨念というも
のは末代まで続くであろうし、アジアにおける戦争
犠牲者の怨念というものも末代まで続くであろう。
ワシントンのスミソニアン博物館におけるエノラゲ
イの展示には日本で反発の声が多数あったことは記
憶に新しい、一方中国において日本軍の残虐行為を
思い出させるような発言、行為に対して敏感に反応
するということは同じ戦争の被害者の立場としての
共通点を見出すことができる。         
 成熟した関係とは、相手の立場を思いやる関係で
あって、被害者の立場でものを見れることだと思う。
 太平洋戦争の結果、アジアの多くの国々が旧宗主
国から独立を果たせたのも事実だが、そうだからと
いって先の大戦がアジア開放の為にあったとは決し
ていえない。真の戦争原因は、ナチスドイツによる
侵攻によりフランス、オランダという国家が消滅し
その植民地であった仏印と蘭印に空白地帯が生まれ、
日本が他国に先駆けて確保に動きそれが米国の石油
禁輸を招くという結果に繋がり、そして真珠湾へと
繋がったわけだ。               
 東南アジア地域の鉱物資源例えばボーキサイト、
石油、ゴムは戦争遂行上貴重な資源で、アメリカに
とってもその地域を日本に押さえられることはアメ
リカの安全保障上の問題に繋がった。      
                       
 次に大谷氏が言及している極東裁判だが、この裁
判の源流というものは、第一次世界大戦に遡ること
ができ、日本を含む連合国側が、敗戦国の指導者を
裁くことを取りきめている、また“人道に対する罪”
という罪状はパリ講和会議において誕生した。戦争
指導者まで裁かれることになった原因として一般市
民を巻き込んだ長期の戦争であったことと、毒ガス
兵器の使用など大量殺戮兵器が出現した結果でもあ
った。                    
 第2次世界大戦においても、ナチストイツによる
一般市民に対する大量虐殺事件が起こり、通常の戦
争犯罪の定義の範囲を大きく超え、1942年に連
合国により民間人への虐殺行為についてはその上官
及び政府指導者についても責任を追及するという声
明がだされている。こういった背景の中で極東軍事
裁判がおこなわれたのであり、当然の流れとして戦
争指導者も裁かれる結果となった。       
 歴史にIfはつきものと言われているが、本当に日
本がアジアの開放を謳って開戦すればまた違った結
果になっていたように思う、日露戦争のように武士
道にのっとり国際法を遵守して戦うならば、世界を
味方として戦えたのではないかとも思う。    
 日本がサンフランシスコ講和条約において極東裁
判の判決を受け入れることにより独立を果たしたわ
けだが、A級戦犯が赦免されたわけではなく、刑期
の短縮という形で出獄したにすぎない。     
 この点に関する資料として、平成3年10月29
日の質問主意書に対する海部俊樹首相名の回答をあ
げたい、“A級戦争犯罪人のうち有罪判決を受けた
もの10名(いずれも終身禁固刑をうけたもの)は
昭和33年4月7日付けで当日までにそれぞれ服役
した期間を刑期とする刑に減刑された。なお赦免さ
れたものはいない。“という回答になっている。 
                       
 最後に首相による靖国参拝問題であるが、A級戦
犯問題は靖国問題を矮小化しているとも言える。靖
国神社は戦前帝国陸海軍が統括していた神社であり、
戦死者を顕彰し(功績などを知らせ表彰すること)
悲しみを喜びに昇華させるための機能を担い、過去
の日本の植民地戦争を遂行する上で重要な役割を占
めていたことは事実である。          
 死者を英霊として祀るという行為は、日清、日露
から始まり先の大戦までの植民地戦争を肯定するこ
とに繋がり、憲法9条を国是とし、世界平和を希求
する国家を戦後日本の理想とするならば、靖国の教
義は著しくそぐわない。そうい施設に一般人が参拝
するならともかく首相が参拝となると憲法問題も絡
み著しく妥当性を欠く行為となるのは明らかである。
戦死者は英霊として顕彰されるのではなく、戦争犠
牲者として祀られるべきだと思う。       

生活者主権の会生活者通信2005年09月号/13頁