生活者主権の会生活者通信2003年01月号/11頁..........作成:2002年12月21日/杉原健児

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スポット情報コーナー

   裁判制度について知ってますか
     千葉県葛飾郡  笹尾興治
 再度の事務局長からの要請でまたまた書く事にな
りました。 今回は日頃皆様方には殆どご縁が無い
方が多いとは思いますが、何かの災難で火の粉が降
りかかってきたらこの問題は何よりも重大になって
来ると云うことには、日頃は気づかづにおりますが、
やはり知って置いた方が良いと思いまして、この問
題を取り上げました。             
 平成11年より司法制度改革が行われようとしてい
る事は知っておられますか・・・・。      
 2年間に渡り司法制度改革審議会が、意見書をま
とめて、 小泉首相に提出しています。メンバーは
法務省、最高裁、など司法関係者ばかりでこの問題
ガ、処理されようとしています。その中には「公的
弁護制度検討会」、「法曹養成検討会」、などなど
10の検討会が設けられていますが、特に一般の人に
関係がある「裁判員制度・刑事検討会」、はその一
つです。 しかしながら、審議録に発言者の氏名が
入ってない検討会もあり、その公開性、透明性に問
題ガあると指摘されています。         
 そこで日本弁護士会が音頭を取り、一般の人々に
関心を持って貰うために模擬裁判を各地区で開催し
て居られます。皆様も映画、テレビ等でご存知陪審
員制度となじみの薄い裁判員制度の二つが有ります
が、日本では裁判員制度が主流で、そちらになりそ
うです。また日本弁護士会でも裁判員制度で進んで
います。 裁判の構成は 裁判官1 名、裁判員「一
般の人」11名が適当ではないかと司法改革国民会議
では提言しています。このように着々と進んで居る
のです。皆さん大きな目を見開いてこの行方を監し
ようでは有りませんか。            
                       
  「カレント」という雑誌をご存じですか
       港区  梶原光惠
 お久し振りです。梶原です。4 年程御無沙汰して
いる間に21世紀に入ってしまいました。が、その間
私は「21世紀のライフスタイルを考える会」で考え
た通りの個別の玄関とコの字型の広いベランダのあ
るマンションに移り、ベランダに茶庭を作って茶道
と義太夫に勤しんで居ります。         
 さて、皆さんは「カレント」という雑誌をご存じ
でしょうか。昭和39年に賀屋興宣が、左右に偏する
ことなく、自由主義社会であるわが国に、正しい世
論を喚起することを目的に創刊した月刊誌です。 
 賀屋はご存知の通り、辛酸をなめた巣鴨プリズン
出所後の昭和33年に東京四区より立候補し衆議院議
員に当選しました。初め新政経研究会を設立し、そ
の成果を機関誌「新政経研究」に発表しましたがわ
ずか一千部前後の政策PR誌では飽き足りませんでし
た。また時あたかも六十年安保を目前に控え、党外
交調査会長の賀屋は岸首相を助ける為、革命騒ぎの
騒乱を静める手段として、「声なき声」に向けて空
からビラを散布するという強行手段をとったことも
ありました。左翼の扇動による暴走を危惧した賀屋
は日本の自由と安全保障を守るための継続的広報活
動の重要性を痛感しました。          
 そんな中、佐藤内閣誕生の39年、法相を退任する
とついに念願の啓蒙誌を発刊すべく情熱を傾け、旬
報カレントを世に送り出しました。時に賀屋興宣75
才。以後精力的に埋もれがちな正論を世に送り続け
ました。                   
 「カレント」は昭和61年、賀屋亡きあと財団法人
世界経済調査会、日本仏教懇話会など多方面に活躍
し、佐藤総理のブレーンとして知られる木内信胤に
引き継がれました。今はまた矢野経済研究所副所長
矢野弾によってこの12月、第 700号が刊行されまし
た。私は矢野氏のゼミの後輩です。矢野氏によって
「カレント」を知りましたが、いい本なので是非皆
さんにも知って頂きたいと思い、これから随時印象
的な記事を感想を交えてご紹介して参ります。宜し
くお願い致します。              
                       
       心のふるさと       
      世田谷区  澤井正治
 皆さん、ふるさとをお持ちですね。小生もふるさ
と大阪を離れて30年になります。       
 大阪は阪南町に住んでいました。有名人では亡く
なられましたが、逸見政孝さんがすぐ近所でした。
高校時代の有名人にはビューティフルサンディの田
中星児さんがいます。彼は小生の結婚式にも出てい
ただきました。                
 大阪を離れて関東に出て来る時、無性に寂しく思
えたのは大阪弁から離れることです。事実二年ほど
経ってから、大阪の同窓会に出る機会があり、色々
しゃべくっていると、なんで、東京弁使うねん。嫌
なやっちゃな〜。(なぜ東京弁を使うのだ、嫌な奴
だなぁ〜)と言われてしまいました。東京の職場で
は大阪弁丸出しだね、と言われて、両方とも疎外さ
れてしまっているのです。           
 ところが、ところが安心できるところがあります。
大学の東京同窓会が隔月で、東京国際フォーラムで
勉強会を開いています。ここでは逆に東京弁に染ま
るな!となるから面白いものです。この勉強会は卒
業生が講師となり、社内業務やプロジェクトでの苦
労談、規制側とのやり取りなぞ聞くことができます。
ここで、安心できるのは、私だけではなかったのだ。
皆、同じ苦労、同じ憂き目にあってるんだ、という
ことで非常に心が落ち着きます。        
 小生はこの会の幹事をやっておりますので、会場
の設営、講師の選定、事後の二次会の予約なぞ走り
回ることも多いです。うかうかすると二次会、三次
会となり、女房にお目玉を喰らうことになります。
でも、会社でもない、趣味の同好会でもない、市民
活動でもない、もひとつの人脈で大切にしたいと思
っております。東京へ上京した当初はどこで遊ぶの
やらどこで飲むのやらわからないことだらけで、こ
の情報源は非常に役に立ちました。仕事だけに限ら
ず、情報源、人脈は多ければ多いほど良いですね。
へこんだ時に慰めてくれる人も多い、ということで
す。結局、故郷を離れて何年経とうが、大阪は心の
ふるさとです。みなさんもそうでしょう。最近の雑
感でした。                  

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