生活者主権の会生活者通信2000年06月号/10頁..........作成:2000年07月05日/杉原健児


北方領土はいらない (3)

練馬区 板橋光紀

 私が45年間住んできた練馬区には石神井公園と言う風光明媚な公園がある。家から歩いて数分の距離 だから散歩のコースとして最適、この公園が存続する限り他所へ移り住むきは無い。
 この公園のすぐ南側に東西に長く延びる舌状台地があって、昭和31年台地の中央部分から縄文初期 の集落の遺跡が発掘され、池淵史跡と名付けられた。今は公園として整備されて練馬区が管理している。 この台地の南側には石神井川が走っており、ここに住む縄文の人々は自然の湧き水によって形成された 石神井公園の三宝寺池と併せて推理にはずいぶん恵まれていた事になる。
 私が記憶する限り過去45年の間に集中豪雨や長雨が続いて石神井川が氾濫、三宝寺池の故意が 歩道へ打ち上げられたり、この付の家屋がみずに漬かる等の被害が少なくも」3回あった。 しかしその都度この舌状台地に建っている家だけはすべて被害を免れている。つまり、縄文時代の人々 は集落を形成する場合比較的安全な場所を選択する「危機管理」又は「生活知恵」をそなえていた 事になる。
 これまでに古代の遺跡の類いは何個所かで見ているが、水害を被りそうな低地た山崩れが発生すると 下敷きになりそうな崖の下とか、津波をまともに受けそうな海岸線、溶岩や火砕流を被りそうな 活火山の裾野等、ややこしい場所に集落の遺跡をみた記憶は無い。
 活火山と言えば去る3月下旬に北海道の有珠山が噴火、1ヶ月を経た今でも付近の住民の7000人以上 が不自由な避難生活を強いられている。我々は茶の間でリアルタイムの映像によって自然の恐ろしさ を実感すると同時に、人々の不安気な表情、一夜にして温泉街の裏山に新しい噴火口が出来て しまったり、雨が降れば学校の窓の高さに迄泥流が押し寄せたりを見るにつけ、被災された方々には 誠にお気の毒で、心からお見舞い申し上げたい。数年前に九州普賢岳の火砕流災害の時にしたと同様に、 些少ではあるが義援金を贈り一日も早く平常の生活に戻られるよう祈る次第である。
 有珠山は過去 400年の間に9回噴火しているとの記録があるようだ。。私は生まれてこの方有珠山 はおろか北海道へも行った事が無い。現地の事情も知らずにとやかくコメント出来る立場には無いが、 しかし何故に噴火口に飲み込まれるような場所にアパートが建てられていたのであろうか。旅館や 病院を建てるならもっと安全な土地を選べば良かりそうなものなのに……等々の素朴なぎもんが次々と 浮かんで来る。
 10年程前に伊豆氏七島の三宅島で大噴火があり、住民全員が自衛艦や巡視船に救助されてあ幸いにも 事無きを得た事があった。三宅島に限らず火山島はたいてい富士山みたいな円錐形をしていて、 裾野が海面下に広がり、山の頂上部分だけが水面から上に出ている事になりそうだ。つまり火山島の 住民は殆ど活火山の二合目か三合目に住んでいる事になる。噴火があった場合、直ちに溶岩や火砕流を 浴びる可能性が高い訳だ。
 私が集めた資料によると、北方四島の中でエトロフとクナシリ島は千島火山帯に位置する。 エトロフ島は東西 177キロメートルで東京から浜松に達する程の細長い島、其処に東橋の神威山、 西端のベルタルべ山と呼ぶ活火山を含めて19の火山が並んでいる。新幹線の駅えきの数より 密度が高い。
 クナシリ島も同然で、東端のろうろう爺爺岳と西南の羅臼山の噴火の二ユースは何度か耳にしている。 火山が多い場所は「温泉が出る」こと以外に人類に貢献しない。噴火がおきた場合、有珠山や普賢丘 なら短時間んで救援隊も送り込めるだろうが、エトロフやクナシリで災害が発生した際に「本土並み」 の救援態勢が整えられるだろうか。まして流氷で海岸線がとざされた極寒の季節だとしたら救援隊は 決死の覚悟で飛び込んで行ってくれるだろうか。しかもそれが日本人同胞を救う為ならともかく、 島民の大半がロシア人であった場合、少なからず旧ソ連人に対してわだかまりを抱えた我々戦前生まれ の人間は国費の歳出にすら腰がひけて来るのではなかろか。
 北方四島は元々人間が健康で文化的な生活を営める土地ではないと思う。司馬遼太郎の力作 「菜の花の沖」の記述が正しいとすれば北方四島は、ほんの 200年前まで無人島で、僅かにアイヌの 人々がラッコを獲る為に島々を渡り歩いた形跡が有るものの、日本人が頻繁に往来し始めたのは 1801年頃からだ。それとても夏場の数ヶ月獲った海産物の加工をする為に滞在し、厳しい季節に 名あると大半の人々は本土へ引き上げていたようだ。島への定住が始ったのは明治20年代に入って からのことだから「日本の領土」といえるようになってから未だ 100年ちょっとしか経ていない。 従って佐渡が島や淡路島等奈良、平安の時代から日本人が住んでいた島々と同列にして、北方四島は 日本の「固有の領土」と決め付けるには少し無理がある。昔はどの国の領土に属するか不明な島が沢山 あった事だし、北海道本島ですら本格的な開拓が始まったのは廃藩置県後に組織された屯田兵による 明治8年の事だから、北方四島には大昔から日本人が定住していたとは言えまえ。
 北方領土の返還運動に「生まれ故郷だから」とか「先祖の墓がある」等を持ち出す人が居る。 人間が生息しにくい島々であるといはいえ、北方四島で誕生し、そこで亡くなった人々がかなり居る のは事実だろう。我々東京で生まれ育った人間には「故郷」とか「墓」についての概念が希薄なせいも あろうが、既に異邦人が15,000人も住んでいる「地の果」みたいな島々を取り戻す事を 「日本民族共通の願望」であるかごとき位置ずけをするのはいかがなものであろう。 「故郷」と「墓」については「ビザ無し渡航」を更に容易いすることである程度解決出来る。 日ロ平和条約は領土問題等を絡めずに対等の条件でさっさと締結すべきだ。森新首相が就任後最初の 外国訪問にロシアを選んだが、私は低迷する自民党が領土問題解決を進めて、 一発逆転ホームランを期待し、来る総選挙を有利に戦う事を意図しているような気がしてならない。 領土問題を政争の具にしているだけなのだ。返還されたら15,000人のロシア人だけが得をして、 日本国民の多くが損をする事に気付いていないようだ。
 要は「漁業」を意識しての返還要求と言いたいのであろうが、だとしたらそれは大きな「感違い」 と言うものだ。
               (つづく)

生活者主権の会生活者通信2000年06月号/10頁