生活者主権の会生活者通信2000年05月号/06頁..........作成:2000年05月18日/杉原健児

北方領土はいらない (2)

練馬区 板橋光紀

【その理由 (1)】

 中国が台湾の独立を認めない理由の一つは、ロシアの「お家の事情」に似たものがある。中国の経済の 大きな部分を支えてくれて、本来足を向けて寝られない筈の台湾人に対して、恫喝とも受け取れるような 「独立を認めない」強硬な姿勢をとり続ける裏には、チベットや新彊ウイグル等他の植民地に長い間 くすぶっている独立運動に対する警告又は牽制の意味があると思われる。かつてイギリスやスペイン等が 未開の国々を次々と植民地化し、そこから甘い汁を搾取出来た時代と違って、現代では植民地を持つ事は 逆に「持ち出し」になってしまう。植民地を運営する為に多くの漢民族を送り込むことになる訳だが、 送り込まれた人材の多くが本国へ帰されること無しに、各々現地に定住してしまう。
 ロシアが中央アジアを始め近隣諸国をその版図に組み入れ、ソ連を形成し始めたのは1930年代後半の 事だ。同時に多くのロシア人達が各地へ派遣されてスターリンの意のままに経営に当たる。ゴルバチョフ の時代にソ連が崩壊、1989年から1991年にかけて、これら近隣諸国はロシアのコントロールから外れて 次々と独立する。ところが60年前に派遣されて来たロシア人とその子孫達がロシア本国へ帰らずに 居残ってしまい、しかもソ連時代に吸って来た甘い汁を吸い続けようとする。ロシア本国の経済が混乱 すればする程なおさら彼達は帰りたがらない。現地の人々は異民族のロシア人を追い出しに掛かり、 民族浄化のエネルギーはスターリン時代以来の恨みも加わって倍加する。いじめに遭っているロシア人を 救う為にロシアは軍隊を派遣する。今チェチェンにこの典型的な例が見られるが、この数年の間に コンチネンタルロシアや中央アジアで発生したトラブルの多くは全てこの類いだ。
 さて「北方領土」だが。1994年10月、北海道東方沖を震源とする巨大な地震が発生した。クナシリと シコタンの二島で特に被害が大きかったようだ。将来に絶望した島民 3,700人が島を捨ててロシア本国へ 帰ったという。しかし北方四島ではまだ約15,000人のロシア人が住んでいるらしい。大陸へ帰っても 生活の目処が立たないのだろう。
 日ソ間の外交による領土問題の会話は鳩山内閣の時代に始まったわけだから、かれこれ40年経ったこと になる。日ロで暫定的にまとまった約束事でも、日米安保条約の改定が成るとソ連側は約束を反故に する等、世界情勢に於ける他の要素によって決着に到らなくなってしまう傾向があると思う。今のように 世界情勢が大きく流動している間は早期解決はあるまい。
 学者の論文や日ロ市民によるフォーラム等、問題打開への個人的な提案を含めて、これまで日本側から ロシア人に示された主な提案事項を整理すると以下のようになる:
 (イ)ハボマイとシコタンだけ先に返してもらって、クナシリとエトロフの二島については継続審議と する。
 (ロ)国境線だけは四島の北へひき、四島の施政権はロシアが保持する。
 (ハ)四島を日ロで共同管理する。
 (ニ)四島を自由貿易区とする。
 (ホ)3〜5年以上四島に在住しているロシア人で在住継続希望者には日本の永住権を与える。
 (ヘ)離島希望者には補償金を支払う。
 (ト)離島希望者には移住の為の転居費用を支給する。
 (チ)現島民ロシア人に生活資金援助の一時金を支給する。
 (リ)島の開発に際しては自然環境を保全する。
 (ヌ)日本本土での居住や就職を認める。
 (ル)教育や宗教活動の継続を保証する。
 私は少数であっても返還後にロシア人が残って住みつづけるのであれば、四島は返還されない方が 良い。
そして上記11の提案が多くのロシア人が四島に居残ることを前提にしているのであれば、これらの提案 全てに反対しなければならない。トラブルの元だからだ。
 少数のロシア人が補償金に釣られて大陸へ移ることはあっても、大多数の島民は四島に居残るに 違いない。それどころか返還後に日本が四島を人間の常住出来る環境にすればする程、大陸から大量の ロシア人が入って来る可能性がある。住民の数を規制しようと試みても、マフィアが絡んだら取締当局も お手上げだろう。
 元日本人島民を対象にしたアンケートの集計結果を見ても、返還後に多くの日本人が北方四島へ移住するとは考えにくい。今の日本人は短期間ならともかく、生活して行ける職業の確保はもとより、社会基盤の不安定な場所に住みたがらない。多くの市町村で過疎化が進んでいる理由もここにある。若い人はコンビニの存在しない地域へ行きたがらないと云われる。伊豆半島でさえ少し南へ入るとコンビニが無い訳だから、北方四島にコンビニは絶対に出来ないだろう。  返還された暁には日本政府と自治体はさしずめインフラの整備に着手することになる。少なくとも:  (イ)数カ所に村役場を建てる。
 (ロ)立派な病院、救急車付き消防署、郵便局、警察署に小中高校の設立や道路。
 (ハ)上下水道や電気の供給を本土並みにし。
 (ニ)空港や、悪天候に耐えられる港湾が整備され、流氷に閉ざされても島々の移動や本土との往来が 可能になる態勢。
 (ホ)島民が貨幣経済下で生活して行ける仕事を確保してやる。
等が必要となって来る。財政事情の多難な折り、これらの実行は極めて困難だ。つまり四島の住民構成 としては、マジョリティーを占める貧しい、そして大きな不満を抱えたロシア人と、施政権を持っていて もマイノリティーに過ぎない日本人が共存して行く島々となる。
 大多数を占める異民族の住む地域で少数派が施政権を握った場合、ロシア人自身が今紛争の経験を しているだけでなく、似たような例は他にも多い。東チモールにユーゴスラビアのコソボ、 カシミールにスリランカも同じ。北アイルランドは多分イギリスが領有をギブアップする迄問題は 解決すまい。 元々日本人は異民族のコントロールが下手な人種だ。戦前に台湾、朝鮮、満州と 三つも失敗例があるのに長い間「ゆりかごから墓場まで」を保証され続けて来たロシア人を御する事が 出来るとでも思っているのだろうか。
 満州では鉄道を敷いただけだろうが、台湾と朝鮮へは国家財政が傾くほど資金を注ぎ込んで、 得た物は住民の不満とテロ、そして多くの国々からの非難と制裁だったことを忘れて欲しくない。
                  (つづく)

生活者主権の会生活者通信2000年05月号/06頁