生活者主権の会生活者通信2000年04月号/09頁..........作成:2000年05月06日/杉原健児

北方領土はいらない (1)

練馬区 板橋光紀

 去る1月27日、10年振りに猛烈な寒波に見舞われた北海道の内陸部の気温が氷点下35度を記録 したという。日露戦争前の英雄、白瀬中尉をご先祖に持つ当会メンバーの一人である白瀬武美さんから 一年程前に彼の家に代々伝えられて来た中尉の「真冬のシベリア1万キロを馬で横断」の体験談を 聞いた時のことを思い出す。極寒の地では深呼吸が禁物であること。復式呼吸や少量呼吸の訓練は 常日頃四季を通じて行って来たことが横断成功の一因になったこと等々である。
 40才に届く少し前のことであるが、私も真冬にフィンランドのヘルシンキへ出張させられて、 氷点下25度を体験したことがある。普通に呼吸していてもすぐに胸が痛くなって、分厚いマスク無しでは 外を歩けない。フィンランドの人々はきっと身体強健で我慢強い人種に違いないと云った尊敬に似た 気持ちと、何も選りに選ってこんな寒冷地に住まなくてもよさそうなものなのにと云った腹立たしい 気持ちとが入り交じったフィンランドの第一印象であった。とにかく深呼吸の出来ない土地に好んで 住みたいとは思わない。少なくとも高齢者予備軍の部類に入って来た私がフィンランドより10度も低温 の北海道へ移住すれば寿命を縮めることだけは間違いない。
 ところで昨年末ロシアのエリツィン大統領が突然辞任、プーチン氏が大統領代行に就任した。 病気勝ちであったからエリツィンの辞任を唐突だとは思わないが、プーチンに交代して、 更に間もなく行われる大統領選挙といった一連の政変に関しては、若干の商品をロシアやカザフスタン へ売って来た私としてはロシアの行く末に関心を持たざるを得ない。差し当たり売り込みの窓口 になっている沿海州やカザフスタンに居住する朝鮮人、中露国境の中国人達を通じての情報蒐集や 変化の予測と分析を急いでいる。
 これまでに私の手元に届いた情報の数々は落胆させられるようなものばかりで、ロシアにワクワク させられるような景気のよい話は一つも無い。しかし元々たいした商売でもないから無くなったって あまり困らない。そして今までの経験によると、リーダーが変わろうとシステムが変わろうと、 間もなく新しい「蛇の道」が出来て蛇が通れるようになるものだ。人々の生活レベルは年を追う毎に 貧しくなって回復の兆しも、見通しすら見えていないようだが、貧乏人の多い所には少数であっても 必ず金持ちが居るものだ。それに混乱が長びけば長びく程、工業製品の生産が立ち遅れ、長い間社会主義 で来てくれたお陰であまり荒らされて来なかった旧ソ連圏は、この先当分の間我々西側先進諸国の デッドストックの受皿市場として、その存在意義を発揮するだろう。
 大勢のロシア人と親交がある訳ではないが、ソ連崩壊前にフィンランドやチェコスロバキア等で 付き合っていたロシア人達は、今の人々と比べて一般に大らかであったと思う。当時のヘルシンキは 我々西側のビジネスマンがコメコン諸国との取引を行う為の商談の場であった。常時数百人のロシア人 が滞在しており、グループ毎に団体行動する。ヒマさえあればホテルの部屋で車座になって酒盛りをして いた。私も誘われて何度か加わったことがあるが、彼らは例外なく酒が強い。ロシア人からウオッカを 取りあげたら必ず暴動が起ると云われるのも理解できる。貧しくはあっても、「ゆりかごから墓場まで」 を保証されていた当時の彼らは陽気で、ユーモアにあふれていた。思想に不自由はあっても衣食住に 困ってはいなかった。
 今は違う。ソ連の崩壊は彼達に「自由」を与えると同時に「受益者負担」と「自己責任」を課して 来た。才覚のある者が富み、要領の悪い弱者が日に日に窮乏しているようだ。
 根室や新潟などロシアの船が入港する港町では、ロシア人が買い付ける中古自動車や電化製品の 「特需」があって景況を呈する場面もあるようだが、同様にウラジオストックからの客船が伏木港へ 入るようになった富山県高岡市では、大勢のロシア人が買物をしてくれるメリットよりも、 彼達の中に万引き常習者が多く、ゾロゾロと店へ入って来た時に店員達が一斉に監視態勢に入らね ばならない煩わしさの方が勝ってしまう。高岡ではロシア人を招かざる客の部類にしている市民の方が 多いようだ。彼達がドストエフスキーの「貧しき人々」や「罪と罰」を、ちゃんと読んだのかどうか 疑わしい。衣食が足りなくなると礼節が欠如して来るものらしい。
 人民開放軍出身で香港に住む起業家が、建造途上にあった6万7千トンの航空母艦をウクライナ当局 から落札、マカオへ移動させてカジノ付きホテルを作るのだという。ロシアの海軍が旧式の潜水艦を 売りに出した話もあった。苦境から脱出する為ならば旧ソ連邦諸国は、この先も世間がアッと驚く ような手段を次々と打ち出して来るのではなかろうか。たとえば1867年、日本の6倍の面積もある アラスカを720万ドルでアメリカへ売っ払った時のように。
 ロシアの混乱や今後の変化に関心を寄せる日本人は「北方領土の返還」を心待ちにしている元住民や 漁業関係者、それに返還された暁には仕事場が増えると期待する政府や自治体職員も同じかも知れない。
 ロシアの側から引渡しを通告して来て、四島に居るロシア人が一人残らずロシア本土へ帰ってくれれば 我々は素直に受け取れば良い。しかし巨額の対価を支払う条件が付いていたり、少数であっても ロシア人が残留することになるのであれば、北方領土は日本に返還されない方が良いと思う。 これは正しいとか正しくないとかの答えではなく、そうする事が賢明か賢明でないかの選択の問題 なのだ。そしてその選択はロシア側の意志や都合に左右されること無しに、日本人が勝手に決められる 事柄なのだ。
 少なくとも「固有の領土」を強調したり、「返還要求」を続けない方が得策だろう。
 本題と外れるが、ついでに「竹島」と「尖閣列島」の領有権もギブアップ宣言したら良い。 その理由を以下に挙げる。 (つづく)

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