生活者主権の会生活者通信2000年03月号/08頁..........作成:2000年03月11日/杉原健児

スイス旅行随想録 (7)

大田区 大谷和夫

[6]風俗の変化

 45年前というとほぼ半世紀前である。日本でも半世紀前と比べると随分変わったが、スイスは果たして どうであったか検証するのが今回の旅行の一つの楽しみであった。
 まずチューリッヒに着いて真っ先に昔下宿していた Weinbergstrasseを歩いてみた。電車通りには 変わりないが、昔の面影は全くない。その翌日バーデンを歩いてみたが、これ又まるで感覚が違う。 考えてみれば半世紀近くたって東京の変化の方が遙かに大きいが、スイスでもやはり相当な変化があった ようである。
 今から45年前のスイスの人口は 450万人位で増加中であった。外人の流入が多く、これを制限する ために、戦時中の日本の女子挺身隊のように、専業主婦などは昼間サービス業などでの労働を強制されて いた。所が現在は約 700万人に増加し、当時より約 250万人増えたが、現在の外国からの労働者は約 130万人で、人口増加のかなりの部分を占めている。そういえばレストランやホテルの従業員には外国人 労働者が大分増えてきたことが実感される。
 45年前の旧友Schneider 氏は、私より4才年長であるが、最近は離婚が増えてきたと嘆いていた。 そういえば全般的にアメリカ風になり、昔のスイスの質実剛健さが失われつつあるように思われる。 日本ほどひどくはないが、若者の服装も乱れ、特に若い女性の歩行中の喫煙が目についた。ビジネスマン は相変わらずきちんと背広にネクタイ姿で喫煙者も殆どみかけないが、身体にぴったりの黒い服装に身を 固めた、8等身というより10等身の若い女性が颯爽と歩くのはよいが、かなりの割合で煙草片手なのは いただけない。
 ホテルの近くのニーダードルフ通りは夜の街であり、怪しげなナイトクラブなどもあった。今回は 早朝からの旅行が多く、夜の街の鑑賞をしている暇もなく、最近は老化現象で興味もなくなって、 結局この方面は調査しなかったので、その動向については何ともいえない。
 チューリッヒのホテルの隣が、丘の上のチューリッヒ工科大学やチューリッヒ大学へ登るケーブルカー の発着駅になっているが、流石にここえ来る若者は、この国一級のエリートであり、男も女も表情が ひきしまっていて、乱れた格好などしているものはいない。これだけは昔と変わりない。
 人口の増加と共に、一人あたりの GNPもかなり増えて世界一になったのであろう。そういえば毎朝 のパンも随分上等になった。昔は古い粉で作った固い黒いパンばかりだったが、今は中身の白い柔らかな クロワッサンなども当たり前になっている。
 列車も昔通勤に使っていた急行の二等車の座席は板でできており、お尻の肉の薄い日本人にはいささか 辛いものがあったが、最近はクッションがつき、一等車とあまり変わらなくなった。更に近郊の通勤用 列車には2階建て列車が増えてきたが、座席が足りなくて立ったまま列車に乗るなどということは、 今でも考えていないようである。それほど列車の数が多いということである。
 丁度45年前には、日本の新幹線の研究が始まり、国鉄の方がきてスイス国鉄の乗り心地を一生懸命研究 されていた。乗り心地という面では確かに未だにスイスの方が上回るように感じられる。しかしスイス人 の旧友が昨年日本に来て、新幹線に乗ってみて、そのスピードと頻度と時間正確度には舌を巻いていた。
 又公共トイレなどもきれいになり、駅の近くには地下街なども出来、鉄道や市内の公共交通機関も一層 充実してきている。自動車も普及して、各地に高速道路も出来てきたようであるが、都会に住んでいれば どこえ行くにも自動車は殆ど必要としないのではないかと思われる。鉄道、郵便、電話などが国営を主 としているが、経営状態がどうなのか今回は調査しなかった。ただ私鉄などと連携がよく取れているのは 見事なものである。
 昔は、公園の便所に財布を置き忘れたが、3年たって行ってみたら元の所にそのままあった、 などという話がまことしやかに語られていたが、流石に今はそのような雰囲気ではなくなった。 それでもひったくり、強盗、殺人のたぐいの話を殆ど聞かないのはヨーロッパの中でも珍しいのでは ないかと思われる。しかし国民皆兵で武器は各人家庭に持っているので、一旦モラルが低下すれば 恐ろしいことになる。
 これに対してキリスト教が一般市民の生活の真面目さという面で貢献していると思うが、教会へ 行ってみると、ドイツと同様、礼拝への出席者は老女が大半である。アメリカなどのように金持ちが 郊外に引っ越してしまって町中の教会の信者が減るのとは違い、精神的には信仰しているが、礼拝に 出席するのは億劫と思っている人が多いのではないかと思われる。それでも老女が出席しているうちは よいが、これらの老女が他界したあと、新たな老女が教会の礼拝に現れるかどうかが今後のスイスの 健全性への期待の分かれ目となるであろう。
 中でも今回もっともがっかりしたのは落書きである。チューリッヒ、バーゼル、ベルンといった大都市 に限られてはいるが、モダンアートもどきの大きな落書きが、建築物や車両の外面に描かれている。 誰が何時描くのか知らないが、同じ人が描いたように不思議と同じ図柄であり、又ドイツのベルリン の壁などと相似である。昔はこのようなものは一切なく、清潔そのものであり、スイスも遂に汚染し 始めたかと思うと甚だ嘆かわしい。
 地方主権のスイスでは、直接民主制をとっている所もあったが、人口の増加と共に次第に間接民主制 に移行しつつあるようである。このような変化が人々の連帯の意識に微妙な影響を及ぼし、今までの 常識が常識でなくなると、俄然問題はややこしくなる。既に述べたように、切符や定期を持たずに電車に 乗るなんて考えられないという常識が今までのスイスを支えてきたと思う。それが常識でなくなると、 いろんなシステムが効率の悪いものになり、経営問題から社会の仕組みが激変せざるを得なくなるで あろう。
 更に国民皆兵で永世中立という状況が続いているが、周囲の環境は大いに変わってきている。 もともとドイツ・フランス・イタリア・オーストリアに囲まれて、その中で独立を守る手段として 中立を選択した筈である。ところが周囲の諸国はいずれもEUに加盟し、通貨までユーロになってまった。 貿易のかなりの部分をEUに依存しているスイスにとって、あくまでEUとは敵対して独立行動を貫くか どうかは大変難しい問題である。というのは昔のフランク王国や神聖ローマ帝国以来の念願の独立の 歴史を引きずっていることと、地方主権の州の同盟を基とする連邦であるため、中央集権の国のように 簡単に国家の方向を変えられないからである。時代の変化としてこの問題をどうとらえてゆくかが当面の スイスの最大の課題であろう。
(おわりに)
 スイスから帰ってきて早くも10日以上経過してしまった。連日の旅行で疲労が蓄積していたせいか、 頭脳が明晰でなく、筆も予想外にはかどらなかった。これから写真と証拠資料を整理して、 旅日記に移りたいと思うが、そこではじめてこの随想録も書き換えなければいけない事に気がつく事も あるかも知れない。その際は悪しからずご了承願うこととしてひとまず筆を措くこととする。
 駄文ご愛読有り難うございました。       (完)

生活者主権の会生活者通信2000年03月号/08頁