生活者主権の会生活者通信2000年03月号/05頁..........作成:2000年03月09日/杉原健児

「うるせーな、ジジイ」ー外野席から観る教育論ー (1)

群馬県高崎市  森 徹 (sintetu@po.wind.co.jp)

【第一章:山姥ギャルと久里武志】

 私は独身のため子供がいない。したがって現在の教育論というものは全て、外野席からみることに なる。横浜在住の中学1年の甥から聞いたが、今流行の20を中心とする若者のファッションに 「ジベタリアン・ガングロ・極めつけが山姥ギャル」があるそうだ。誰にも迷惑をかけていないと言う 意味では、一種の悪性な感冒にも思える。これに対するワクチンは今のところない。そして、 躾の悪さのなれのなれのはてとして、「親の顔がみてみたい。」と言う50代〜60代が多い。
 少年マガジンに連載されている野球マンガ「ドリームス」には、外見のみで人を判断する愚かさを 「ラベルでしかものを測れない」と戒め、野球というスポーツの中で、詳細な動きの中にも能力を 見極める基本的分析力を具体的に描いている。中には野球少年は誰でも、安打製造機になれるハウツー も描かれている。実際の実力と、礼儀正しさやスポ根は無関係と言う方程式がこのマンガの良さで もある。 「ドリームス」は恐ろしいほどスポーツ科学を重 視して描かれていて、スポーツが「精神論」で勝てるほど甘くないことを解いている。 主人公の「久里武志」は、チーム内で4番でエースを実力で勝ち取った茶髪のロン毛である。 「親の顔がみてみたい。」と思われる世代には、外見だけで非常識きわまりないためダメな人材だ。 しかし、実力1でプレーイングマネジャーもできるとなれば、誰もが認めざるを得ない。野球三流校を、 夏の甲子園大会地区予選決勝まで進ませる。野球実力校に入れなかった原因は素行の悪さにある。 「ラベルでしかものを測れない」外野席にひと泡ふかせることが、この物語の面白さの一つでもある。 山姥ギャルから「久里武志」のような人材がでる可能性は誰にもわからない。

【第二章:クレイジーの定義と反乱】

 そして、私が変人なのかもしれないが、彼女らに「うるせえな、ジジイ」と言われたこともなく、 誰にも迷惑をかけていないと前提で、自分の廻りにこのような人種がいないことを良い事に私は 彼女らの言動を見て見ぬふりを決めこんでいる。クレイジーと言う意味では、ヒトラーのユダヤ人 大量虐殺よりはましである。なぜ、このような観方をするか? 1999年までの小渕首相の大量の 赤字国債の発行も、マスコミが騒がないだけで「クレイジー」だろう。 「クレイジーのジャンルが 違うだろう。」との御意見は受けつけない。国家存亡の危機から比べれば、躾の悪さなど、 「かわいらしいハシカ」に思えてならない。まちがいなく10〜20年後の働き盛りの若者に大重税をしいる。 現在のお年寄り大臣の決断のツケが若者にまわるわけだ。そして、我々の世代は山姥ギャルの世代の お世話になる。「増税反対」をうそぶく国会議員よりも、「うるせーな、ジジイ」発言の山姥ギャル ほうが単なる感冒と思えば、まだ人間らしさがあると思う。おリもおリ1月5日付け毎日新聞の 1面余禄に、「いつかこの世代が反乱を起こす」と書いてあった。

【第三章:スポーツに観る人間教育】

 それにしても、日本は人間教育の下手な国にいつからなったのか。ソウルにしか行ったことがない私は、 諸外国の若者と見比べてみたいとも思う。
 オリンピックのメダリストが医者をしている方や、弁護士資格をもつラグビーのワールドカップの 選手の例などにもみられる、文武両道の諸外国は世界に多い。特にアメリカに比べ、日本人は、 文武のバランスが非常に悪い。国内の野球以外の元スタープレヤーは、業界のコーチとして生き残る以外、 大半がスポーツキャスターしか職がないのが異常だと思う。
 私は、「アンチジャイアンツ」のためあえて言うが、先進国の中で日本が一番スポーツ選手の育成が へたな国ではないか? スポーツファンの大半が、「長島ジャイアンツ贔屓」というのがスポーツ 後進国家の象徴の気がする。金で他チームの一流選手を買い取ってしか「勝つ方法」を見出せない パターンは自前で若手を育てられない象徴だ。過去、他チームからジャイアンツに移籍しても輝きを 失わなかったのは張本・落合氏ぐらいで、他はほとんど潰れている、選手潰しのジャイアンツである。
 シドニーオリンピックの結果がでればわかるが、オーストラリアが目標にしているメダル数は金20・ 銀20・銅20だそうだ。BS1放送によれば施設やコーチを含め27年前からはじめた国家プロジェクト AIS構想で、これに近い数字はでそうである。国家をあげてのスポーツ選手の育成など、 今の日本では考えられないシステムであり、かなわないと思う。
 シドニーで日本の期待される種目は、柔道・少々水泳と野球、そして史上最強とうたわれるサッカー と女子マラソンくらいなものか。確実にメダルとなれば、柔チャンくらいなものだろう。スターが揃って いるという面では女子マラソンと言いたいが、やってみないとわからない。サッカーでは無理だろう。
いずれにせよ獲得メダル数はオーストラリアにはかなわない。女子マラソンにせよサッカーにせよ、 中期計画で人材を育ててきている種目であることは、周知の事実であるり、スターは急に生まれない。
 スポーツの評論をしているわけでもないため、話をもとにもどすが、子供の躾をなげくまえに、 20代〜30代の親たちの両親の世代というのが、今の50代〜60代の世代ではないか。いきなり、 子供の躾が悪くなったのではなく、徐々にくずれていっているのではないかと思う。人間育成がへたな 延長上に、スポーツ選手の育成もはいる。野球(特にジャイアンツ)以外は注目度が低いため、 各分野国際戦ではほとんどアジアでも勝てなくなった。これが今のお家事情である。人気度から言えば 「国技」とも言える野球も、オリンピック地区予選では、韓国に全く歯がたたなかった。
 韓国は選手の過半が大リーグのメジャーを揃えているのに対し、日本は、球団(特にジャイアンツ) が足並みを揃えていないためである。自分のところさえよければ、国際戦はどうでもよいという懐の狭さ にある。そして、野球・サッカー・ラグビー・マラソン以外はワールドカップや世界選手権以外 オリンピックイヤーしかスポットを当てない。
 水泳の千葉すず選手が「忘れていたかのように4年に一度思いだし、期待はずれだとぼろくそや、 冗談ではあらへん。」と朝日新聞に言っていた。わかる気がする。千葉選手は、日本でボロボロになり、 アメリカの水泳インストラクターを期に復活したのは有名な話しである。
 サッカーの中田英寿選手もワールドカップ直後に「マスコミに愛想のない生意気な若者」とマスコミ にボロボロにされる。そして、逃げるようにペルージャに移籍していった。それにしても、 世界に通用する選手を国内で育てられないこと自体が情けない。中田選手が時間を経て、 ペルージャの司令塔のポジションを獲得し、今は史上最強と言われるオリンピック代表の 「カリマス司令塔」と呼ばれセリアAのローマに移籍したのは周知のことだ。民放のZONで 中田選手の特集が組まれたが、「サッカー選手としての格の違い」を感じたのは私だけではあるまい。
 マイアミの奇跡と歌われアトランタ五輪の対ブラジル戦で日本が勝利したことは記憶に新しい。 日本は2勝1敗だが、点差で予選を通過出来なかった。中田選手に言わせれば、予選は3連勝できた ものを、采配ミスで通過できなかったそうである。こういう意味からも、史上最強と歌われる日本代表 の活躍に期待したい。     (つづく)
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