生活者主権の会生活者通信2000年01月号/08頁..........作成:2000年12月29日/杉原健児

スイス旅行随想録 (5)

大田区  大谷和夫

[4]歴史と文化
 各地の歴史博物館の展示によると、スイスの歴史も結構古く、なかなか変化に富んでいる。 新石器時代の遺物から始まり、紀元前16世紀には人はアルプス地方にまで住むようになった。 紀元前4世紀には西部地方にケルト系ヘルベティー族が入植し、東南部にはラエティー族がいた。 その後紀元前58年にローマ軍が侵入し、ローマ帝国の属領となり、当時の遺跡が各所に残っている。 又当時ケルト人の居住地域をヘルベチアと呼んだが、これがスイス全体の呼称として未だに使われている。 郵便や自動車の番号札に使われているCHとはConfederation Helvetiaの略であり、Confederation とは 連合とか連盟というような意味である。
 4世紀末に、ゲルマンの民族大移動が開始され、ローマ帝国に代わって、ブルグント、アレマン、 ランゴバルトの諸族がやってきて、現在のフランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏の下地を作り、 ラエテイー族のレートロマンス語がロマンシュ語として残り、その後の変遷にも拘わらず今日に至るまで の多言語国家の基盤を形成した。
 6世紀に入るとフランク王国の勢力下に入り、11世紀初めには神聖ローマ帝国の領土となったが、 13世紀初頭、スイス地方を領有したハプスブルグ家( 後のオーストリア帝国の国王) が勢力を強めて 住民を圧迫し始めた。
 1291年、ウーリー、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州は、独立の為の永久同盟を結び、 これがスイス連邦の起源とされている。その後も同盟の輪を広げながら戦争に勝ち、1499年には同盟も 13州となって神聖ローマ帝国からの事実上の独立を獲得した。
 16世紀の宗教改革運動でも、Zurichのツヴィングリ、Geneveのファレルとカルヴァンが強力に推進し、 全欧に浸透した。宗教戦争として最大規模の17世紀の30年戦争では中立を保ち、国力を増したスイスは 1648年のウェストフアリア条約で列強より神聖ローマ帝国からの独立を正式に認められた。 現在教会の半数はプロテスタントである。
その後もフランス革命軍に侵入されたり、ナポレオンにかき回されたりした。その影響は今日でも残り、 ドイツ語地域でもDanke という代わりにMerci を使い、場合によって Merci vielmalと仏独混淆の 用語を使っている。しかし武力で独立を守り、1815年のウィーン会議で22州の連邦国家と永世中立が ヨーロッパ各国に確認された。その後1848年に初の連邦憲法が制定され、今日の連邦政府が生まれた。
現在は26州あり、全体で九州位の広さであるから、州といってもそんなに広くはない。今でも政治的な 主権は殆ど自治体の州にあり、連邦政府の大臣は7人で限られた項目のみ所管している。これらの州の 自治と独立を護るため、産業の発展する前は生活が大変苦しく、周辺の大国に傭兵として血の輸出をして 凌いできた。フランスのルイ16世に殉じた傭兵を偲んで、Luzernの氷河公園の手前にはライオン記念碑と して祀られており、傭兵は禁止されたとはいえ、現在でもローマのヴァチカンはスイス兵で警護 されている。又どこの博物館に行っても、武器や武具が陳列され、いかにして独立と中立を達成して きたかを強調している。
言語も多岐に亘っているが、小さな州を単位とした同盟と、武力に支えられた独立、周辺の大国 ( ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア) からの中立、熱心なキリスト教、といった見方に よっては頑固な過去の歴史がそのまま今日のスイスのバックボーンを形成しているように伺われる。 又それが自然条件と相まって今日のスイスの美しさの文化的基盤ともなっているように見える。 列車でもよく迷彩服の兵隊の移動と出会うが、いずれも逞しい好青年で頼もしい限りであった。
 今回は音楽や文学の分野はノータッチで過ぎてしまったが、美術に関しては殆どの都市で美術館めぐり をした。スイスらしい画家といえばやはりホドラーであろうか。ベルン市立美術館でみたまじめくさった 画風も好感がもてる。サンモリッツのセンガティーニの大作「生成−存在−消滅」にはやや東洋的思索が 感じられる。現代のクレーやジャコメッティは前衛的、抽象的で、私にはやや馴染み難いが、後者など 多くの教会でステンドグラスを彩っていた。又ピカソに関しても、ルツェルンのピカソ美術館では晩年の 20年間の作品、スケッチ、写真を蒐集し、バーゼルの欧州最古の市立美術館には「座るアルカン」と 題するピカソ初期のまともな傑作が展示されていたが、素晴らしい名画であった。
 教会といえば各地に必ずカトリックとプロテスタントの教会がある。外見では一寸見分けがつかぬが、 内部に入れば一目瞭然である。装飾が多く雰囲気のあるカトリックに対し、プロテスタントは中身で 勝負とばかりいくら大きくても簡素である。古いものでは St.GallenやChurの教会など7世紀、 8世紀の建立のものもあるので、ヨーロッパの中でも古い方であろう。中でもBasel のエリザベート教会 ではヨガのような「瞑想」をやっていて、内部見学の我々も参加を勧誘されたが、キリスト教会で「瞑想」 の集会とは初めての経験である。
 バーゼルの市立美術館の入り口中庭にはロダンの傑作「カレー市民」が立っている。各地にロダンの 彫刻があるが、その素直さがスイス人のお気に入りなのかも知れない。町中にもいろいろな彫刻や、 特にベルンやバーゼルには噴水の彫刻が数多く見られる。中には機械文明を象徴するような現代的なもの もあり、一瞬ぎょっとするが、周囲の光景に似つかわしいとはいえないように思う。
 こんな小さな国なのに、結構な数の画家が出ており、音楽や文学の分野でもかなりの人材を 輩出している。建築の分野でもスイスでは活躍の場がないということでフランスで活躍した ル・コルビジェの作品をチューリッヒ湖に面した岬公園で見つけた。率直な直線性や色彩感覚はやはり 現代のスイスにも生きているように感じられた。
 45年前には、スイスと北海道は緯度、面積、人口何れも似たようなものであった。今でこそ人口は 多少差が開いたが、気象や高度はスイスの方が苛酷なのに、その後で経済・文化・生活レベルの面で かなりの差を付けられたという感じがするのは残念な事である。
                (つづく)

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