生活者主権の会生活者通信1999年12月号/08頁..........作成:1999年12月26日/杉原健児

何とかならぬか教育問題

練馬区 板橋光紀

 一人の子供を育てて大学を卒業させるまでに掛かる養育費に両親は 2,000万円を出費する事になる そうだ。但しこれは国公立学校をストレートで卒業してくれた場合の金額で、子供に幼稚園から大学まで すべてを私立の学校を選択させた場合は 3,000万円を必要とするらしい。
 これでは平均的な勤労者の家庭だと、たった一人の子供を育て上げる事だって楽ではない。出生率が 年々下がってくるのも無理は無い。一所帯の子供数は10年程前に 2.0人を切って、今では 1.6人に なってしまったと言う。学校へ行って40人学級のクラスを見廻すと、約半数の20人が「一人っ子」で、 残り20人の内6〜7人が「末っ子」、つまりどのクラスも生徒数の約70%が「一人っ子と末っ子」で 構成されている勘定になる。
 我々戦前に生まれた世代では、5人兄弟、6人兄弟とかが当り前で、中には8人とか9人兄弟等子沢山 の家庭も珍しくなかった。たまに「一人っ子」も居たし、子沢山の家にも必ず「末っ子」が居た 訳なのだが、時々耳にした大人達の会話の中に、一人っ子と末っ子は「半人前」という言葉があった事を 記憶している。全員と言う訳ではなかろうが、縁談でも相手が「一人っ子」や「末っ子」と聞くと敬遠 されがちで、若干ハンデを背負う運命にあったと思われる。
 サラリーマン時代に私も入社試験の試験官を数年務めた事があり、試験の開始前に上から「一人っ子と 末っ子はなるべく採用しないように」と耳打ちされた事がある。
 昔からの言い伝えによると、一人っ子と末っ子は「わがまま」であるとか「自己中心的」「自己主張が 強すぎる」「言い出したら聞かない」「辛抱が足りない」「感情の起伏が激しい」「強情」「協調性が 乏しい」「飽きっぽい」「甘えん坊」「他人の面倒を見たがらない」「気配りが足りない」「指示待ち 人間」「すぐにふてくされる」「他人に依存型」「失敗を他人のせいにする」「人間関係を作るのが 不得手」等々、あまり好ましくない彼等の特性を表現する言葉には事欠かない。
 しかしこれらの特性は彼達が持って生まれた先天的な性格と言う訳ではなくて、進化論を引き合いに 出すまでも無く、育っていく過程の環境がそうさせたものであるに違いない。両親を始め周囲からの度の 過ぎた愛情や必要以上に世話を焼かれ、蝶よ花よと構われれば、これらの好ましくない性格が醸成されて くるのは因果律上必然と言って良い。
 同時に干渉を注げば注ぐ程本人に圧迫感や閉塞感を感じさせてしまい、自室に篭りがちな方向へ追い やってしまう結果になりかねないから始末が悪い。
 私の子供時代には、父親が戦死したとか、抑留されて未帰還だったりの母子家庭がよく見られた。 上野駅には浮浪児があふれ、傷痍軍人があちこちの街角に立つ光景は、終戦からかなりの長い間続いて いた。たとえ両親が健在であっても、食料を始めあらゆる物資が不足した状況は今の北朝鮮に似た環境下 にあり、私の家でも5人の育ち盛りの子供を養う両親の苦労は並大抵の事ではなかった。ましてや母子 家庭での母親の苦労は想像して余りある。
 当時は一人っ子や末っ子でも、家庭や学校でお互いに助け合っていかなければやってゆけず、 わがままをいつまでも言い続けるわけにはいかない環境にあった。つまり厳しい環境にある場合、 彼達は辛抱強く、思慮深い人間に育つものらしい。私のクラスメートを見廻しても、中には「甘ったれ」 も居たが、一人っ子も末っ子も概して立派に成長している。今の子供たちの中にも一人っ子や末っ子で あるにも拘わらず、礼儀正しく、成績優秀でしっかり者を見つける事がある。きっとご両親が厳しく 躾をなさったのであろう。
 「半人前」と決め付けられた方々の特性を少しアングルを変えて観察し、プラス思考で見た場合、 「わがまま」や「言い出したら聞かない」は「中途半端な妥協を許さない」となり、「甘えん坊」や 「他人依存型」は「可愛気のある人」、「自己主張が強すぎる」は「確固たる自分の意見を持った人」と なる等、美点に変ってくる面もある。悪い意味の「良きサラリーマン」になれなくとも、「良き学者」、 「良き芸術家」、「良き職人」、「良き先端技術者」等、妥協を許さない仕事には向いている。 内外の反対を振り切って猛進し、会社を急成長させちゃうような中小企業のワンマン社長にはこのタイプ がピッタリかも知れない。しかし如何にひいき眼で見ても、概して彼等が「団体生活と共同作業が苦手」 とだけは言えそうだ。
 「自己中心的」で「団体生活と共同作業が苦手」な生徒がクラスの 2/3を占めた場合、教師としては 授業の運営に戸惑う事が予想される。授業中に騒いだり、走り回ったり、器物を壊したりする子も居る だろうし、注意すればすぐに「キレ」る子が出たり、ふてくさって「不登校」を決め込む者も出て来よう。 不登校の小中学生は全国で 127,000人に上ると言う。
 「不登校」の原因には授業について行けない生徒も多いと聞く。亡くなった土光敏夫さんが臨調答申の 中で教育問題に触れ、以下の事を指摘している: 「かつては中学校で4割、高校は3割、大学は1割位 しか授業についていけないと言われた。それが今は、中学は3割、高校は 2.5割にダウンしている。 しかしこの6〜7割にもなる落ちこぼれと言われる生徒たちも、評価可能な知育だけについての事で、 教育の根本義である人間の評価は入っていない」と。
 私の知っている限りでは、優れた教師の中にはこれら最近の子供の傾向をよく心得ていて、適切に対処、 まがりなりにも「卒業」させるまで大過なく乗り切る人も多い。しかし少子化傾向は戦後まもなく始まった わけだから、とかく若い教師の中にはご自身が「一人っ子か末っ子」である可能性が少なくとも50%位 あり、問題が発生すると「近頃の子供は家庭での躾が成ってない」と来る。
 批判された父兄の側は「教師の力不足」と学校を責める。教師の場合と同様に若い父兄の多くも 「一人っ子か末っ子」であった可能性が高い。その理由は少子化傾向下で生まれた年代が近いからで ある事の他に、両者とも自分たちの非を認めたがらず、 「すぐに他人のせいにする」半人前の症状を露呈しているからである。
 「学級崩壊」という気味の悪い現象は少数で、どのクラスでも発生しているわけではないだろうが、 たまたま生徒の多くと教師及び父兄の三者が悪い意味の「一人っ子や末っ子」であった場合に発生し易い と私は想像している。
 教師に同情することにもやぶさかでではないが、最近発表された教師への以下のアンケート結果等を 見ると、同情する気が失せてしまう。
 (1)クラスの担任を降りたいと考えた事がある60%
 (2)自分は教師には不向きだと思う事がある−40%
 (3)時々学校に行きたくないと思う事がある−57%
 (4)子供とうまく行かない。       −56%
 (5)教師をやめたい。          −35%
これとは別に発表された調査結果によると

(6)休職者の40%が精神疾患である。 (7)ストレスから来る疾患で労災認定を受けた教師は 4,000人に上る。
(8)昨年わいせつ行為が発覚して処分を受けた教師は65人。今年は9月迄で62人に達し、昨年実績を 上回るのは確実。
(9)これらの数字には万引き、体罰等その他の不祥事による処分件数は含まれていない。
 これらの調査結果から、教師の中に「一人っ子と末っ子」特有の「甘ったれ」及び職業意識の低い人や 教師の資質に欠ける人が大勢混入している事をうかがわせる。

 土光臨調の指摘する落ちこぼれ率の高さにも唖然とさせられるが、教師の教育技術に問題もあるのでは なかろうか。私の小学校から大学までの16年間にも、確かに優れた教師も居たが、やたらにアカデミック な言葉を乱発して話を解りにくくしている下手な先生もかなり居たし、時々子供の学校へ授業参観に 行った時にも、少し首を傾げさせられるような授業をしている教師も見受けられた。
 この数年間、学校と父兄の間で批難と、両者の諦めに似たため息とが続く中、識者の間でも文部行政の 貧困が指摘され、教育制度の改革が叫ばれている。改革の具体的な作業に携わる若い文部官僚の多く を多分これまた「一人っ子と末っ子」で占めている筈だから、あまり大きな期待はできないが、 是非ともドラスティックな改革が成るよう願ってやまない。
                          (つづく)


生活者主権の会生活者通信1999年12月号/08頁