生活者主権の会生活者通信1999年05月号/06-07頁

憲 法 を ど う す る ?  (3)

練馬区  板 橋 光 紀 

        ー3月号(2)からの続きですー
 戦後の軍備については、最初1950年「朝鮮戦争へのアメリカ軍の出動により空白となった日本の治安を維持するため」との理由で、警察を補完するための「警察予備隊」が創設される。当時の総理大臣吉田茂の面の皮がいかに厚くても、陸海空軍を持つことを禁じた「第九条」をそのままにして、「軍隊を創設」とは言い出しかねたものと見える。
 しかし続いて1952年に「保安隊」、その2年後には「自衛隊」に改名され、この武力組織の目的が「外部からの武力攻撃に対する防衛」に変わって来るが、「第九条」の方は残したまま、「解釈を変える」という手法で今日まで整備増強され続けてきた。この解釈を変え、切り抜ける「悪いクセ」は自衛隊の兵力が世界で5本の指に入る程大きくなっても、国連中心主義が主流となった今の時代でも、戒厳法制や後方支援を検討する必要にせまられても、「憲法改正」をすることなしに突破しようとするところに無理がある。その結果、莫大な国家予算を費やしているにも拘わらず、自衛隊は札幌の雪祭りや青森のねぶた祭りには必ず出てくるが、災害救援には自治体の要請があった場合にのみ出動できて、内外の有事が発生しても、速やかに対応できない「代物」となっている。
 為政者は「憲法改正」を口に出すと次の選挙で落選するとか、政権を失う恐れがある等を心配して正面から論戦を戦わさないのではないだろうか。今の日本人、特に若い人達に「政治に無関心」と「平和ボケ」が多いと言われるが、国政をあずかる政治家達が国防の現状を容認、またはこれらの問題を避けて通ろうとするならば、その政治家達もまた一種の「平和ボケ」の部類に入れなければならない。政権の基盤が弱いから憲法改正なしに何でもかんでもやろうとすると「妥協の産物」が沢山できて、各所に矛盾が生じ、誰からも祝福されず、内外に不完全燃焼の異臭を撒き散らした状態で走ることになる。
 昨年秋、突然インドが核実験を行った。隣国のパキスタンは直ちに過敏に反応、多くの国々による自重の説得も空しく、数日後にはパキスタンによる核実験が強行される。両国の指導者によるテレビを通じての声明の中に、実験の正当性と、これらの実験が各々の国民の大多数によって支持されているとの説明があった。
 私はパキスタンへは1回しか行ったことがない。それも18年も前の事で、インドとの国境に近いラホールと呼ぶ町へ商用で3日間滞在しただけだから、パキスタン事情に精通した人間とは言い難い。しかし識字率が都市部で35%、人口の大部分を占める農村地域では20%でしかない事は知っていた。識字率の点ではインドも同様で、9億人の人口を抱えるインドの国民の70%が文盲である事はよく知られている。
 文盲の人々に核爆弾がいかなる物か、実験を行う事によっていかなる問題が生じるか、核の保有が何故に必要なのか等々が充分理解されているかどうかは判らない。しかし、テレビに映し出された「実験の成功」に拳を振り上げて興奮する民衆のコメントの数々からは、お互いに「パキスタン憎し」、「インド人憎し」の一念は観察できたものの、彼達に国防のあり方や両国の関係改善等に関する「定見」が備わっているものとは思えない。多分、広島や長崎の悲劇の事も知らないだろうし、CTBTとは何の事やら、関心すら無いのではないかと推察できる。
 こういった国々では、何かちょっとしたもめ事が発生すると短時間で国論がワンサイドに偏って、取り返しのつかない大事に発展させてしまう恐れもある。核兵器を振り回し始めたら「文盲に刃物」で、当事国だけでなく、周辺諸国にとっても死活問題になりかねない。重大な意味を持つ決定が、たとえ民主的な手続きを経て、国民の大多数の支持を得てなされたと説明されても、その「民主的な手続き」とやらが、国民の大多数を占める文盲の人々による国民投票的国論の集計結果であった場合、周辺諸国に住む我々としては釈然としない。
 日本の国防問題においても同じ様な事が言える。防衛庁で不祥事が発生すれば自衛隊の兵力増強のテンポは鈍化し、北朝鮮からロケットが飛んで来ればミサイルの探知装置や迎撃ミサイルを開発する方向へ振れてしまいそうだ。アメリカから強く迫られれば後方支援も約束してしまうだろうし、有事法制も多分中途半端な所へ落ち着いて決着してしまうだろう。国際情勢が流動的であることは確かだ。しかし、政治家も我々国民もあまりにも定見が無く、国防に関する哲学を構築するスタンスが取れていないのではなかろうか。定見の無さという点では核問題に直面するインドやパキスタンの文盲の人々と同列だ。情報化社会である。国防に関する色々な事柄がたとえ選挙という民主的な手続きを経て決定されたと内外に声を大にして声明しても、「それらの日本の決定たるものは、大半の平和ボケと政治に無関心な国民によって、多分、低投票率の選挙によって決められるもの」であることを周辺諸国の人々に判ってしまう。周辺諸国の人々にすれば、さぞかし釈然としないことであろう。
 まず、北朝鮮も安保条約も現在の自衛隊のことも、憲法、PKO、それに平和ボケ事情等々、すべて横へ置いておいて、政治家も国民も国防に関することを原点に立ち返って議論してみる必要がある。

議論の順序としては、
1.日本における国防とは何か
2.軍隊が必要か不要か。そのサイズはどれ位とす  べきか。
3.PKOへの貢献はどうあるべきか
4.外国で紛争が発生した際に邦人救出は必要かど  うか。
5.日米安保条約は必要か不要か。その内容はどう  あるべきか。
6.非核三原則は堅持するか、放棄するか。
7.北朝鮮やイラク等の問題を抱えた国々へはどう  対処すべきか。
 2の軍隊の必要性には「戒厳法制」が伴うことを考慮すべきだし、5の日米安保に関しては「後方支援」がついてまわる事を織り込んでおかなければならない。
 これらの日本のあるべき姿が固まった後に、初めて、それらの態勢を維持していくためには「憲法改正」が不可欠かどうか、どの程度改正すべきかを論ずることが出来る。憲法が先ではないのだ。
 最後にこれらの新態勢についてアメリカと中国を含めた周辺諸国から理解を得られるかどうかを検討せねばならないが、その際、有事における「船舶臨検」があり得ることも説明した上で理解を求める事を前提としておかねばならない。
 私は国民の大多数が国防について本気で考え、充分な論議と公正な採決で出た結論であるならば「憲法改正」も結構。愚直にルールに従ってこの国を運営して行くべきだと思う。しかし、残念ながら、今の日本では国防問題が「万機公論」に決するとは考えにくい。
 「地域振興券」を配るとか、配らないとかは、私は反対者だったが、はっきり言って「どちらでも良い」。「国防」の事は日本だけでなく諸外国へ大小のインパクトを与える重大なテーマであって、地域振興券の事とはレベルが違うのだ。
 インドでは牛を「神聖なもの」だから食べないと言う。パキスタンでは豚が「不浄」だから食べないらしい。それらが宗教指導者によって決められようと国民投票で決定された鉄則であろうと私は構わない。「勝手にしてくれて結構」だ。インドやパキスタンの文盲の人々を軽蔑するつもりはサラサラ無い。国民の大半は農村に住み、自給自足に近い生活をして、他のアジア諸国によく見られる人口の都市集中も少ない。貨幣経済に取り込まれていないから、景気・不景気にあまり関係なく、アメリカがくしゃみをしようと日本が風邪をひこうと殆ど影響ない。文字が読めなくたって人々の日常生活に差し障りのない事や、お金に拘らずに人々が生活してゆける「お国柄」には羨ましいとさえ思っている。
 ついこの間までパキスタンの人口は7千万人と聞いていたが、2050年には3億5千万人になると言う。インドの人口は現在の9億人から中国を抜いて世界一の15億人に増える予測が出ている。食糧の確保や環境の悪化等、大問題の発生は必至であろう。これからパキスタンやインドを侵略しようとか植民地にしたいと考える馬鹿は居るまい。いずれ近い将来に自給自足に行き詰まって、諸外国に援助を仰がねばならなくなる事が判っているなら、両国とも核開発に使う資金と英知は人口問題に振り向けるべきだ。「政治に無関心」な若者が多いのと「平和ボケ」が多いのは今の日本の「お国柄」かも知れない。故意に危機感を煽って国防に関心を持たせようと画策するのも適切でない。
 我々戦前に生まれた人間は、「戦争」と「軍隊」には元々「狂気の要素」がスパイスのように混じっている事と、一旦、堰を切ると人智の予測の範囲を超える事態に発展する可能性があることを知っている。我々はこの先、余命が長くない訳だからよいとしても、今作られようとしている新法や新システムの影響を、良しにつけ悪しきにつけ、大きく受けるのは若い人達なのだから、若い人達の関与が少ない状況下で、しかも投票者の中に多くの平和ボケ的有権者が混入している状況下で、子や孫の代々までを束縛するかも知れないような重大な決定を急ぐべきではない。「時期尚早」とは正にこの事を言うのだろう。
 将来若い人達の多くが各種の不都合を実感し、政治や国防に関心を持つ時代が来て、システムの変更や新法制定の必要性を彼ら自ら気付いた時に彼ら自身が決めるべきだ。
 当面諸外国から賞賛されようと笑われようと「戒厳」も「後方支援」も決めずに、日本の政官の得意とする「先送り」を決定し、「若い人達にゲタを預ける」ことにしたらどうだろうか。
 広島や長崎の人々には申し訳ないが、日本が世界で唯一の被爆国であることの意義は大きい。 PKOへの戦闘要員を派遣できなくたって負い目を感じる必要はない。 核兵器の廃絶を目指して懸命に汗を流すことも他の国々には難しく、そして日本人だからこそ出来得る 「価値ある国際貢献」だと思うからである。                  <完>

「 ホ ー ム ペ ー ジ 」 が 新 し く な り ま し た 

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