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━━━生活者通信メルマガ版━━━━平成23年12月3日 Vol.104━

最高裁判決を受けて──人権後進国・日本(その3/3)

                      生活者主権の会  清郷 伸人

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(その1/3)

(その2/3)


4.混合診療について考える

 最後に、裁判を離れて混合診療について私なりに考えたことを述
べる。

 私の訴訟は世間では混合診療解禁裁判一色に染め上げられてしま
ったが、再三述べるように、請求の本質は混合診療の解禁ではない。
私の訴えは混合診療においても健康保険受給権はあるはずだという
もので、解禁はその主張が通ったら派生的にもたらされるかもしれ
ないものである。しかしまだ療担規則18条、19条がある。保険医、
保険医療機関は厚労大臣の定めた医療、医薬品以外提供してはなら
ないのである。その意味で、混合診療禁止は必要で合理的な政策だ
から私の請求を却下するという判決は的はずれである。私は禁止を
問題にしているのではなく、患者の保険受給権取り消しという禁止
のための手段が合理的か、合憲かを問うているのである。極言すれ
ば禁止を破ったら死刑に処すというペナルティは合理的で合憲かと
いうことである。

 一方、混合診療については、私は患者としてそれを自由に選べる
ことを求める。私が良心的な主治医の混合診療のおかげで蝶形骨や
頸骨への転移後10年経った今でも元気だからではない。たとえその
効果がなく、倒れても混合診療を受けたことを納得するだろう。も
ともと奏功率が低いのは承知の上である。また私の場合は違ったが
治療の大きなリスクも覚悟する。転移した腎がんの残り少ない治療
の中から主治医と私はLAK療法を選択し、チャレンジしたのであ
る。効果が期待できる治療があるのに国の制度で使えないといわれ、
末期の烙印を押されるなど耐え難い侮辱である。

 このように混合診療には患者にとって治療の選択肢が広がるとい
うベネフィットがある反面、重大なリスクも考えられる。最も多く
いわれるのは国民皆保険が崩壊するというものである。その内容は、
保険証1枚で時間、場所を問わず平等に医療を受けられるシステム
が貧富の差で壊れる、不当に高い患者負担が発生する、安全性や有
効性に疑問のつく医療がはびこる、保険収載しなくなる、財政が悪
化するなどというものである。

 しかし、混合診療を認めている国民皆保険の先進国は英国、ドイ
ツ、フランス、オーストラリア、韓国ほか数多くある。国情による
違いは多少あるだろうが、それらの国で皆保険が崩壊したという話
は聞かない。よく聞くのは財政事情が厳しいのはどこも共通で、社
会福祉である国民皆保険による公的医療と自由価格のビジネス医療
の2本が並立しているという医療制度である。だが、そのことで文
句をいう人はいないそうである。

 いずれにせよわが国では、混合診療を導入すると国民皆保険制度
が壊れると口をそろえていわれるので、その内容を検討してみる。

(1)混合診療を導入すると医療の平等性は本当に毀損されるのか。

 たしかに受ける医療内容と費用に差は出るが、医療のアクセスに
差はない。JRを利用するのに普通車とグリーン車では料金は違う
が乗車に差はないのと同じである。またグリーン車があること自体
が平等性の毀損だとすれば、その通りである。だがそれで皆保険が
崩壊するかといえばノーである。現状でも高額な自由診療は誰でも
受けられるし、保険医療機関における差額ベッド等多くの選定療養
はグリーン車である。産科や歯科では混合診療は公認同然である。
それでも皆保険に影響はない。そもそも治療は同じでなくてはなら
ない、命の値段に差をつけてはならないという素朴な意見は残酷な
パターナリズムである。貧血の者がいるから全員が貧血になるよう
食事制限するようなものである。健康な人から栄養を奪う、能力の
ある患者の希望する医療を奪う偽善である。平等性をいうなら、私
たちが本当に考えなければならないのは、栄養のある食事をする者
を監視することではなく、食事もできない人のことである。保険料
も払えず保険証を取り上げられ、窓口負担も払えないため医療から
見放された数百万の人たちである。命の格差はすでに生じている。
本当に平等にするならイギリスのように保険料も患者負担もなくし
て全部税金で賄うべきである。インド南部にいくつかの病院を持ち、
年間250万人以上の患者を診察し、白内障を中心に30万人に手術
をするアラビンド眼科病院の患者の半数は貧乏なので無料である。
それでも寄付に頼らず経営を続けられるのは、徹底したコスト管理
と支払い能力のある患者には市場価格でサービスを提供して大きな
利益を稼いでいるからである。「私たちのモデルは小手先のテクニ
ックで真似られるものではない。患者に向き合う良心があるかどう
かの問題だ」(病院の医師)。このようにして病院は先進国の人し
か手にすることのできなかった質の高い医療を新興国の貧困層にま
で広げることに成功している。(大竹剛・日経ビジネスオンライン)

(2)混合診療が認められれば患者が不当に高い自由医療に誘導さ
れるという懸念があるという。

 確かにそういう悪質な医師もいる。だから私は混合診療全面解禁
論ではない。限定され、選ばれた保険医療機関が公的なルールのも
とで、倫理委員会等による自律的な厳正な手続きを経て混合診療を
行う構想を描く。その公的なルールこそ叡智を集めて設計されなけ
ればならない。混合診療を実施する保険医療機関の要件や実施の要
件、患者と医師のインフォームド・コンテントの記録さらにはルー
ル違反の罰則などが定められる。しかし公的なルールも重要だが、
最終的に混合診療の妥当性や安全性を担保するものは、病院や医師
の自律的な機能しかないと考える。

 混合診療で怪しい治療が横行し、医療の安全性が脅かされるとい
う懸念も理解できるが、本当だろうか。怪しいという情緒的な言葉
は、私の裁判で国も多用したが曖昧な用語である。呪いとか祈祷の
類なら医療ではない。医療機関はやらないだろう。では安全性の証
明されない医療のことか。確かに保険承認された医療は有効性も安
全性も保証されているはずである。しかし風邪薬や血圧降下剤のよ
うなものは別として、がん等重病、難病の薬は有効性と安全性は二
律背反である。抗がん剤はよく効くものほど正常な細胞を叩き、患
者の免疫力を落とす。多くの薬害を起こしたのも重病、難病に有効
な保険薬だった。

 医療はリスクとベネフィットという女神の秤に掛けられている。
がん患者は数パーセントの治療の有効性を賭けて死ぬかもしれない
副作用に挑むこともある。保険診療でさえそうならば混合診療にお
ける有効性と安全性の問題は、患者と向き合った病院の倫理委員会、
医師の自律的検討による決定を俟たねばならない。患者と医師のそ
の選択と決定に国が介入する必要はまったくない。医療者が治験の
ような慎重さで混合診療に対すれば、どこかの病院や診療所で安全
性も考慮されない医療が行われるという懸念はないのである。

 患者が不当に高い自由診療に誘導されるという説も怪しい治療が
横行し医療の安全性が脅かされるという説も医療者の性悪説であり、
それを前提にすれば医療の自由と自律を奪う事前規制へと進まざる
を得ない。これは真っ当な考えであろうか。上昌広東大医科研教授
は、混合診療が一般化すると国民皆保険が崩壊するという説は仮説
に過ぎない、その妥当性はデータに基づきアカデミズムで議論すべ
きだ、データがなければ「壺を買わないと祟りが来るぞ」と脅す霊
感商法に近いという(MRIC)。
 
 むしろ圧倒的多数の医療者の性善説を前提に医療に自由と自律を
付与し、行政は厳格な事後検証を確立すべきである。いくら厳しい
事前規制を行っても新薬では薬害をまったく防ぐことはできない。
しかし、多くの薬害は事前規制だけ行われ、事後検証がまったくな
されないことによって甚大化したものである。その方がはるかにリ
スクは高いのである。

(3)医師会も患者会も口を開けば必要な医療はすべて保険で行わ
れるべきといい、厚労省は必要な医療は例外的な先進医療(評価療
養)を除いてすべて保険で認められていると千篇一律のようにいう。

 それは本当に正しい主張なのだろうか。

 医師会の主張は公定価格で標準治療の保険診療が最も楽に儲かる
からである。開業医の平均年収2700万円、世襲率9割以上の事実が
端的に表している。患者会は必要な薬のドラッグ・ラグ解消を保険
承認に求める。医師会と患者会を同列には論じられないが、高齢化
や医療の高度化とともにどちらの主張も保険財政の増大につながる
ものである。現に医療費は毎年1兆円以上増加し続け、2010年は36
.6兆円という巨額なものになった。

 一方、厚労省は医療費のとめどない増大に危惧を抱く。医療費に
自由診療は含まれないため高度先進医療もできるだけ保険承認した
くない。評価療養にもしたくない。それによって先進医療が実施さ
れ、評価が進んで保険承認の声が高まることさえイヤなのである。
患者にとって希望する医療が保険承認されることは悲願だが、先進
医療や新薬は非常に高く、保険財政を強烈に圧迫する。とくに日本
のように保険対象が非常に広く、皆保険一辺倒の国では八方美人の
保険承認などできるはずがない。

 重要なことはこの構図は日本だけの現象ではないということであ
る。先進国は程度な差こそあるが、医療費の高騰と財政の悪化とい
う難題に直面している。ただ多くの先進国はこの問題を先送りせず、
抜本的な改革を実施している。日本は経済成長鈍化に加えて少子化
により社会保険の負担能力が落ちる一方、高齢化と医療高度化によ
り医療費は高騰するという最も厳しい状況にある。年金と同じく医
療も若い現役世代が高齢の受益世代を支えるという賦課方式を取っ
ていると見ていいが、それが限界に近づいている。

 医療制度改革の方向を端的にいえば、厚生労働省は全国民の命に
責任を持たなくていいということである。難病には人権という責任、
感染病や流行病には公衆衛生という責任が伴うが、がんなどの慢性
病は基本的に本人の問題であり、本人の意思と能力に負う部分があ
ってもいい。すべての疾病に責任をとり、皆保険で解決しようとす
るから制度の破綻が近づく。日本の医師の技能は優れているが、勤
務医の数や体制、病院経営、患者サービスといった医療制度が疲弊
し、医療システムがガラパゴス化しているのは世界の常識となって
いる。

 当局はこれまで国民皆保険という公的医療を社会福祉という建前
で提供してきたが、それは持続不可能であることを素直に表明すべ
きである。その建前が歴史的呪縛となって改革への身動きを押さえ
つけている。今後も先進国の医療水準を維持するための医療制度改
革は、受診時定額負担制のような姑息な手段ではなく、国民皆保険
による公的医療と任意の自費負担であるビジネス医療の並立という
世界の常識の導入しかないことを国民に本音で説明する必要がある。
国民皆保険のドイツでは自費で名医を指名することが公認されてい
るが皆保険崩壊と騒がれることはない。日本でも差額ベッドや出産
・がん検診・不妊治療などの自費診療は医療機関の大きな収益源と
なっている。それらが保険診療と併用されることも少なくないが、
公認ではないため萎縮医療となる。

 政府は日本経済再生のための内需の成長分野として農業や医療・
介護や保育・教育そして自然再生エネルギーを挙げている。しかし
経済成長のエンジンであるそれらは既得権益にぶらさがる組織団体
を守る規制・制度でガンジガラメの分野なのである。規制・制度の
緩和や撤廃に失敗すれば日本経済は窒息し、成長は止まってしまう。

 話がそれるが、政府の規制制度改革会議が混合診療の解禁を提言
したとき、多くの知識人が民間委員をアメリカの手先とか保険会社
の回し者のように非難したが、委員に身近に接した私にいわせると
歪んだ見方である。かれらは一個人の信念として発言し、行動した
と確信をもっていえる。その信念はがんや難病の患者に新しい、良
い治療を受けさせたいという純粋な心情に基づいている。

 また混合診療が認められると、新薬の保険収載へのインセンティ
ブが失われるという危惧もいわれるが、新薬のメーカーに確認した
ところ混合診療は関係ないそうである。新薬は公的に合理的に値付
けされ、普及が進むことが望ましく、たとえば混合診療公認のフラ
ンスのメーカーもそれは同じとのことである。

 さらに混合診療が認められると、保険収載された医療の保険が取
り消されて自由診療になるという危惧もいわれる。これは危惧でな
く既定事実である。混合診療が認められていない現在でも厚労省に
よって進められている。一例がリハビリの成果主義、日数制限制導
入である。これは保険診療だったリハビリ治療に日数制限を設けて
ある程度の成果に達しない場合は保険を打ち切るというもので、以
降は選定療養という自費診療になるというものである。厚労省によ
って望んでもいない混合診療が強制され、その結果患者は保険受給
権を失う。一方、私は混合診療が国の政策に反するという理由で、
希望する混合診療を選んだ結果保険受給権を失う。このダブルスタ
ンダードが厚労省の本性である。混合診療が禁止されているから、
保険診療は安泰だというのは甘いのである。逆に今後の保険財政を
考えると、保険診療の範囲の見直しは不可避と思わなければならな
い。

 最後に混合診療が認められると、保険財政が悪化するという危惧
について述べる。この認識は最高裁判決の根拠の一つになっている
が、本当だろうか。結論からいうと混合診療は財源を減らさないの
である。混合診療が認められていない現在は、保険診療のみで保険
給付を受ける。しかし混合診療が認められても、その保険診療に全
額自費の保険外診療が加わるだけで給付される保険は全く同じであ
る。混合診療を公認すると財政負担が増えるというのは誤解なので
ある。このような錯誤を根拠に敗訴の判決を出すことは到底容認で
きない。

 二人に一人ががんになり、少子高齢化が加速する現在、高度化す
る医療をすべて保険にしたら財政が持たないことは明白である。現
在、支払い能力のある高齢者はもっと医療や健康に自己負担しても
いいと考えているはずで、健全な社会を次世代に手渡すことは高齢
世代の最大の責務である。

 なお混合診療については、上昌広東大医科学研究所特任教授によ
る委細を尽くした論考がある。
http://www.kongoshinryo.net/pdf/ronkou.pdf

 また最高裁の判決文は筆者のホームページ
http://www.kongoshinryo.net に掲載されている。

「著者・清郷伸人氏関連のHP」
http://www.kongoshinryo.net
http://www.seikatsusha.org/ne/kiyosato/


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(マガジンID:0000146184)

−「創刊号」 2005年01月01日発行−
≪2005年05月01日現在読者数:1342名≫


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