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━━━生活者通信メルマガ版━━━━平成23年12月1日 Vol.102━

最高裁判決を受けて──人権後進国・日本(その1/3)

                      生活者主権の会  清郷 伸人

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1.判決の評価

 2011年10月25日、私は最高裁判所にて私の上告を棄却するとの判
決を受けた。私の提訴の内容は、保険外診療である活性化自己リン
パ球移入療法(LAK療法)を受けても保険診療であるインターフ
ェロン療法の保険は給付されるはずだというもので、地位確認の行
政訴訟といわれる。

 1審は保険給付を定めた健康保険法に、保険診療と保険外診療の
併用(いわゆる混合診療)において給付を一切停止する規定はなく、
国の法解釈は誤りとして私の請求を認めた。しかし2審は健康保険
法の保険外併用療養費規定に該当するもの以外は保険給付を受けら
れないと解釈すべきで、混合診療は禁止と解するのが妥当として憲
法判断も含めて私の請求を退けた。そして最高裁は2審判決を維持
し、私の敗訴は決まった。

 私は判決後の記者会見で「最高裁を含む日本の上級裁判所に対し、
深い絶望を覚える」と述べた。私の訴訟の本質は、既述のように混
合診療の解禁そのものではなく、私の治療に必要な混合診療を行っ
た場合に健康保険受給権を奪われることの法的根拠の有無であり、
仮に法的根拠が認められるなら、その法律の違憲性(生存権、幸福
追求権、平等権、財産権の侵害)を問うことである。最高裁におけ
る上告審で、私は保険受給権が公的医療を受けることと同義で社会
保障の根幹であり、これを奪われることは憲法に謳われた基本的人
権を侵害するものだと強く主張したが、最高裁判事は5人全員がこ
れを認めなかった。

 裁判所が私の保険受給権はあるはずだという訴えに対し、法的根
拠があるから却下するという判断は認めたくはないが理解できる。
混合診療禁止が財政面からも医療安全面からも必要で合理的な政策
とし、健康保険法の保険外併用療養費規定の反対解釈によってその
法的根拠とするのは理解できる。しかし、この保険受給権取り消し
を定めた法律とその行政執行が憲法に違反していないという判断は
まったく理解できない。私の絶望の淵源はここにある。

 一つでも保険外診療を受けたら保険診療も含めてすべての医療が
自費になるというこの医療制度を白紙の状態で普通の市民に聞いた
ら100%そんなバカなという。これが法規範よりもっと普遍的な
社会規範、いわば世間の常識というものである。常識からすると、
あり得ないような国民の権利の侵害なのである。それは患者にとっ
ては命をつなぐかもしれない保険外診療を受けると家計破綻、あき
らめると斃死という究極のペナルティなのであり、いわば「財産没
収か死刑か」に等しい刑罰である。世間の常識はこのペナルティ、
刑罰に対して、とてもまともではないと感じているのである。司法
は混合診療に対するこのペナルティをあまりにも理不尽な人権侵害
とは思わないのだろうか。政策にとって必要だから合憲と判断した
最高裁は基本的人権を侵害している国家から国民を守る司法の最後
の砦、違憲立法審査権を自ら放棄したといわざるを得ない。それは
国家の暴走を正すべき独立した司法が日本に存在していないことを
示している。そしてこれほどに行政に擦り寄った司法の姿は、日本
が法治国家でなく官治国家であることを表している。

 2審も上告審も判決の要点は、財政の制約や医療の平等性、安全
性のためには混合診療の禁止という政策は合理的で、それに違反し
た場合は健康保険の受給権が取り消されても、裁量権の逸脱という
ほどではないというものである。この判決の本質的な欠陥は、財政
や平等性、安全性が患者の生存権や平等権、財産権といった憲法に
定められた基本的人権を奪わなければ確保できないと断定している
こと、すなわちそれらが基本的人権を奪うに値するほどの価値と宣
言していることである。

 有名な朝日訴訟は、生活の維持という生存権を伴う基本的人権は
貧弱な生活扶助政策の口実とされた財政より優位にあると判決した。
また医療の平等性や安全性は重要な政策課題だが、基本的人権を奪
わなくても法改正や制度設計で確保できる。この国の司法ひいては
国家の宿命的問題点は、混合診療の禁止というような政策要請が憲
法の基幹理念である基本的人権より優位にあるという権力側の価値
観である。かれらの思考には悲しいほどに基本的人権は軽く、人権
意識は低いのである。この宿痾が今回の判決で露呈したといえる。

 私たちはそういう国で生まれ、生きる運命である。民主主義や基
本的人権の思想を外から持ち込まれて半世紀あまり、それらの価値
が血肉と化すにはまだまだ時間がかかるのであろう。嘆くのではな
く、闘いつづけなければそれらが根付くことはない。


2.判決についた意見

 最高裁の判決に至るまでにある出来事があった。6月1日、最高
裁から国に突然質問が出され、
(http://www.kongoshinryo.net/pdf/q-saikousai01.pdf)
1週間後、国は回答した。
(http://www.kongoshinryo.net/pdf/a-saikousai01.pdf)
最高裁はさらに詳細な回答を求め、10日2回目の質問を行った。 
(http://www.kongoshinryo.net/pdf/q_saikousai2.pdf)
1週間後、国は答えた。
(http://www.kongoshinryo.net/pdf/a_saikousai2.pdf)
判決文を読むと、判事が判決を書くために質問したようだが、2回
目の質問は、政策を達成するには差額徴収を禁ずるだけで十分なの
に患者の保険給付を除外する詳細な合理的理由は何かという本訴訟
の根源的なものであった。この質問に私は良い結果を期待した。な
ぜなら国の回答の内容はそれまでと変わらず、新しい主張はなかっ
たからである。しかし期待は裏切られた。判事は全員が以前と変わ
らぬその回答に満足したのである。何のための質問だったのか。

 原告にとって判事の全員が上告棄却という判決は絶望的な結果だ
が、判決には5人中4人の裁判官の意見がついた。これは異例のこ
とらしい。原告の私にとっては不可解な言い訳としか思えない意見
の内容を吟味してみる。

(1)混合診療において保険受給権を取り消す法規定(保険外併用
   療養費)の不明確性

 大谷判事は、法は評価療養以外の先進医療をどのように扱うか、
正面から規定を置いていない、診療を提供する側についての規範の
いわば裏返しとして、診療を受ける患者側の権利、義務が導かれる
ことになり、患者にとって甚だ分かりにくい法構造となっていると
指摘し(27頁)、法規定の反対解釈の問題性を突いている。すなわ
ち保険医が提供できる医療の範囲という規範が、患者の保険受給権
の適否に直結するという構造を持つこの法規定は、明確であるべき
法規定として不完全だということである。

 田原判事は、保険受給権適否の問題は健康保険の給付という高度
な政策判断が求められるため、開かれた場で多くの利害関係者によ
って掘り下げた議論が行われて法に明確な明文規定が設けられるべ
きであったにもかかわらず、厚労省も国会もこれまでの法改正の過
程で正面から議論してこなかった、そのため現行法は保険受給権適
否について1審と2審のように異なった解釈の余地のあるものとな
っている、この法規制のように対象者が広範囲に及ぶ場合は異なっ
た解釈の余地のない明確な規定が定められるべきである、またどの
ような場合が保険給付の受けられない混合診療かという基準も明確
な表示がないため萎縮医療につながる可能性があると指摘している
(20〜21頁)。核心を突いた指摘である。しかし厚労省は審理の場
で、最後までその基準、混合診療の実例をあげた定義の提示要請に
答えなかった。当然である。かれらにとって法律は不明確であるほ
ど良い。実際、ほとんどが行政立法の日本では法律はそのようにな
っている。そして曖昧な霞が関用語に満ちた法律に対する第一位の
解釈権を持つことが行政の強さの源泉であり、わかりにくい法律は
官僚の専断である趣旨解釈で運用するに限るのである。立法府の議
員は選挙対策ばかりで不作為、司法の裁判官は行政追認の判例集、
それが国民不在の官僚主導国家を作り上げた。

(2)評価療養の迅速で柔軟な運用を望むという行政への要請

 田原、大谷判事は、医療技術、新薬の開発は目覚しく、海外で承
認されたそれらの早期使用は既存の治療から見放された患者の切望
するところで、迅速に評価療養の対象となるよう柔軟な制度運営が
期待されると述べている(23頁、30頁)。また岡部判事は、しかる
べき医療技術の有効性の検証が適正、迅速に行われ、評価療養とし
て取り入れられることが肝要としている(26頁)。これらの意見は
もっともに思えるが、患者から見るとこの政策の実態を知らない者
の気休めに過ぎない。次々に開発される医療技術や新薬を一握りの
集団が事前に検証している日本では、使用できるまで日進月歩の欧
米に遅れること数年や十数年というのはザラで多くの患者は待ちく
たびれて亡くなってしまう。

 その背景について寺田判事は鋭い指摘をしている。「公的医療平
等論は、もともと昭和59年改正前から国の制度論を支えていた哲学
とでもいうべき基本的な考え方とみられ、この考え方の下では、自
由診療を保険制度と関連付けて公認することを極力避けようとする
傾向がみてとれるだけに、この考え方がなお制度の根底に据えられ
ているとするならば、評価医療の認定対象はきわめて限定的となる
ことも十分考えられる」(35頁)。寺田判事だけが例外的な混合診
療をできるだけ増やしたくない厚労省の編み出した保険外併用療養
費制度のまやかしを見破った。この哲学は厚労省と医師会一体の護
送船団のマニフェストである。国会も国民の命を人質にした大票田
の医師会が怖くて医療制度改革の立法など言い出せない。こうして
アンシャン・レジームにしがみついている間に、世界から取り残さ
れた日本の医療は崩壊していくのだろう。

 黒岩神奈川県知事も次のように述べている。「厚労省の予防接種
部会のメンバーとして過ごした1年半は私にとって大きな収穫だっ
た。日本のワクチン行政のお粗末さ、政治の貧困、スピード感のな
い意思決定システム、患者不在の政策決定過程など、…医療界の現
実を生々しく感じることができたからであった。2009年秋、予防接
種法の抜本改革のためにと開かれた厚生労働省の検討会であったが、
2年の歳月を経た今も未だに検討ばかり続けている。私のスピード
感からすれば、想像を絶する遅さであった。要するに、抜本的に変
えるつもりは端からなかったのではないかと思わざるをえない。…
考えてみれば、全員が役所に指名されたメンバーなのだから私が期
待することそのものが間違っていたかもしれない。…私は民主党政
権の政治主導に期待していたが、現場ではツユのかけらも感じるこ
とはできなかった」。(2011年現場からの医療改革シンポジウム)
この指摘は会議の名称が先進医療でも未承認薬・適応外薬でも医療
制度でも大同小異であろう。

 このような行政の実態、政策の停滞を見れば、3人の判事の意見
がいかに能天気なものかがわかる。見過ごせないのはこの楽天的な
意見が判決に重要な意味を持っていることである。田原判事は平成
16年の厚労大臣と特命大臣の「いわゆる『混合診療』問題に係る基
本的合意」に則って先進医療の評価療養への採用が十分に活かされ
ていると述べ(23頁)、岡部判事も評価療養によって混合診療保険
給付除外の原則はすでに緩和されているとし(26頁)、大谷判事も
評価療養、保険外療養制度が医療ニーズの多様化、医療の高度化の
問題への穏当な解決へのレールが敷かれてきていると述べている
(30頁)。そしていずれも患者に重大な影響を及ぼし、過剰な規制
と映ることはわかるとしながらも、混合診療保険給付除外原則が平
成18年改正法以後も適用されることによる弊害は現時点では窺えな
いと断言している(23頁)。がん患者の治療選択肢を狭め、多くの
理不尽ながん死を招いている混合診療保険除外原則は違憲だという
私の訴えに対する答えは、このように政策により保険除外の問題は
解決されつつあるという現実論であり、今も混合診療行政処分の武
器となっている健康保険受給権除外原則は妥当と判断され、温存さ
れた。

 繰り返すが、保険外併用療養費制度で混合診療は実質解禁になっ
ているというこの判決では、広範で日進月歩の医療技術や新薬をカ
バーしきれない現行のポジティブリスト方式が固定化され、患者に
とっては死活問題となるのである。

(3)保険外併用療養費制度の合理性の問題

 大谷判事は、かつて差額徴収を認める自由診療方式において患者
の不当な費用負担が社会問題化したため一部の自由診療と保険診療
の併用を認める特定療養費制度が創設された経緯をふまえ、保険受
給権除外を罰則として一切の混合診療を禁ずることは立法政策とし
て合理的だったとして合憲の根拠の一部としている(28〜29頁)。
日本では大きな社会問題が生じると必ず過大な反作用が起動する。
熱しやすく付和雷同する国民性であろうか。差額徴収問題は特定療
養費制度すなわち混合診療原則禁止という過剰な規制を起動した。
児童の予防接種による死亡問題から厚労省はワクチン離反という過
剰な不作為政策へと走り、現在のワクチン後進国を招来した。世論
が沸騰している時は合理的でも冷静になったら過剰だったという制
度、政策は数多くある。見直すべきだが、この国のリーダーたちは
時代が変わり、世界が変化しても頑迷固陋であり続けるようだ。今
回の判決が示すように。

 一方、2審判決維持の結論は妥当としながらも多数意見に与する
ことはできないとする判事もいた。保険外併用療養費制度の合理性
に疑問を呈した寺田判事である。判事はこの制度の仕組み自体の合
理性も議論のあるところだが、仕組みの中で「併用すると本来の給
付をも否定する対象」の決め方、権利を阻害する要件の決め方が問
題だという。評価療養は厚労大臣に相当の裁量があっても不合理で
はないが、併用に保険給付を認めない自由診療は権利を否定する範
疇に入るので、より厳格な指針で範囲を決めるべきとする。厚労大
臣の裁量をできる限り排除し、併用する保険診療を保険給付除外と
する自由診療の基準を明確に定めた仕組みが求められる、現行のポ
ジティブリスト方式は基準がわかりにくく厚労大臣の大幅な裁量に
委ねられていることが問題だとしている(32〜34頁)。

 また寺田判事は本訴訟の本質に係わる指摘を行っている。私がイ
ンターフェロン療法だけ受けていれば保険は給付されるのにLAK
療法を併用したばかりに保険給付されないのは不平等で不当ではな
いかと問うていることに対し、これは混合診療保険給付除外原則が
どのような目的を達成するための手段としてどのように合理的であ
るかという問題提起であり、まさにこの仕組みの「手段と目的の合
理的な関連性」について相応の検討が求められていると述べている
(36頁)。法律用語は難解なので例を挙げる。公立校の中学生が学
力の向上のために私塾に通ったら、生徒の平等性確保や塾の悪影響
防止、親の過大な負担防止という目的のためペナルティとして公立
校から追い出されることは合理的か、あるいは定年後の生活費のた
めに個人年金を契約したら、年金者の平等性確保や年金財政悪化防
止の目的から公的年金を剥ぎ取られることは合理的か、また本訴訟
のように混合診療を行ったら財政健全化や医療の平等性、安全性確
保という目的のために財産没収か死刑を課されること(本質的には
そうである)は合理的かという疑問である。政策目的が正しいとし
ても、それらの目的と手段の関連は合理的といえるかという問題で
ある。

 寺田判事はさらに本訴訟がそのような本質的な問題についての議
論が深まらず、保険外併用療養費制度を定める法の解釈論議に終始
したといえると述べ、争点に疑問を呈している(35〜36頁)。たし
かに1審から論点、争点は次第に法の文言解釈、制度解釈に分け入
った感はぬぐえない。そのことで結論が変わることはないであろう
が、少なくとも次のことは今後の参考になると思う。もともと異な
った解釈ができるように作られた日本の法律では、解釈論という土
俵に上がれば、裁判所は国の解釈を採るといってよい。市民は法律
解釈などに左右されない強い動機と問題の本質的な論拠こそが最大
の武器である。

(その2/3に続く)

「著者・清郷伸人氏関連のHP」
http://www.kongoshinryo.net
http://www.seikatsusha.org/ne/kiyosato/


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(マガジンID:0000146184)

−「創刊号」 2005年01月01日発行−
≪2005年05月01日現在読者数:1342名≫


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